エッセイその63. 家族と英語③自分編
コロナの時代に入ってから人と会えませんので、
私が日本語を話す量がぐっと減りました。
それが、最近のコロナ疲れを助長しているように思います。
ああ〜、帰省したいなぁ、と思います。
ルミネエストのベルクに行って、千円札をテーブルに置いておいて、
ビールのおかわりをしながら、友達と心ゆくまで日本語で話したい。
子供の愚痴を言いたい・親の、旦那の愚痴を言いたい!
ぐちぐち、3時間ぐらい言いたい!
そんなふうに思うことが増えてきました。
やっぱり、自分の言葉で、こころゆくまで話すって、大事ですね。
さて、以下は家での私の言葉や、家族との関係についてです。
毎日の言葉
夫はキウイ🥝ですが、仕事も日本語でやっています。
家庭内でも、日常語は日本語です。
もう30年も日本ですので、車の保険の手続きからなにから、
♪一人でできるもん♪
になっています。
でも、少しややこしいことは英語になります。
というのは、夫婦間で、一年中空耳祭りを開催しているからです。
お互いに とんだ聞き間違えをしますので、
間違えては困ることは、やっぱり英語に偏ります。
前にも書いたことがあるのですが、ある朝 夫が家を出ようとしていて、
The water does not look break today.
と言いました。
「今日は破水しなそうだね」
と言ったのだと思い、
(水がブレイクするというのは、破水するということ)
破水?!
だだっ、誰が!
と言いましたら、
The weather does not look great today, と言ったんですよ私は。
ということでした。
そんなのしょっちゅうです。
聞くところによれば、母語であれば、全体の2割しか聞こえなくても、
全体の文脈から、ほぼ、理解できるそうです。
逆に言うと、英語で喋っている時の私と、日本語で喋っているときの夫は、
言われていることの80%を聞き取らないと、理解はできないかもしれません。
まあもちろん、話している内容にもよりますが、
やっぱりよく聞かないと聞き落としがあるので、結構疲れます。
上の空になること:
疲れていたり、相手の話している話題に興味がなかった場合、
聞いているつもりで、いつのまにか電源オフになっています。
Ah~ham〜...
などと口では言っていても、聞いていないわけです。
「聞いてる? 聞いてないでしょ」
聞いていますよ。
「本当? 今なんて言った? 」
・・・子供か、っていう話です。
娘とは手旗信号並み:
我が家で私が、日本語で不自由なくやりとりできるのは次女だけ。
その次女も就活中なのと、一人で部屋にこもっているのが好きなので、
会話、と言えるほどの話は普段していません。
家でも、どこでも、LINEとかiMessageが行き交っています。
それがことごとく短文です。
長く書いても、訊いたことにあまり答えがないため、
自然、一問一答みたいになってしまったみたいです。
おしゃべりは、親とじゃなくて、友達と楽しむんですよね。
本当に話したいことは、書く:
外国人の夫とはちゃんぽんで、
離れて暮らす長女や、巣篭もりの次女とは極端に短文です。
それで、日本語で話したいことが溜まります。
ブログを書いたりすると結構満ち足りた気分になれますし、
つきあってくれる友達には、LINEですごく長くメッセージを書きます。
会って喋ったのに近い満足感があります。
音声だけで友達とおしゃべりすることもあります。
こうして考えてみると、ほぼ一日一人でいる女にしては、
喋っている量がすごく多いことに気がつきました。
口から先に生まれ、口先三寸で仕事をし、口をつぐむことなく去っていく。
それが私の一生かもしれません。
おまけ漫画マヨネーズくん:
https://note.com/bigfish/n/n6ee63c809594
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