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日本語教師日記143.「ら」を護る委員会

私の生徒の中で、0から日本語を学び始めた人は、

食べれる・見れる・行けれる・・・と言う人はいません。
いるかもしれませんが、私がそれに気がついた途端に成敗、
じゃなくて天誅・・でもなくて、直していますので、大丈夫です。


もちろん、「言葉は揺れるもの」。

日本語教授の世界で、

「全然・・」と言ったら否定形で終わりましょう

と教えていますけれども、
そんな私も「全然大丈夫ですよ」などとよく言っておりますし、
よく調べたところ、戦後しばらくの間は、「全然+肯定形」も普通に使われ、
乱れた日本語としては考えられていなかったそうです。
戦後すぐ連載の始まったサザエさんも、言葉遣いに独特のところがいろいろあって面白いのですが、マスオさんもよく、

「お父さん、僕はそれを全然支持するです」

などと言っています。
【じしょ形+です】
も、話し言葉で普通だったようですね。

おっと脱線しましたが、このように、言葉は世に連れ・・ですし、令和4年となった今は、平成生まれの若いみなさんがどんどん書く仕事をされていて、
そういうみなさんにとっては、「ら抜き」言葉が自然で普通なのでしょう。

なので、私のように、死んでも「ら」を護ろうとしているのは、
何かもう、かたくなというか、
怖い人みたいに見えるのではないでしょうか。
うちの娘たちは一応ハーフですので、夫と相談して、
英語と日本語を正しく教えようとしていて、今でも娘たちから、

「食べれる、というと、食べ・ら・れ・る! と直されてうざかった」

と言われます。
20年前の話ですね。

彼女らは今は周り中、らぬき話法なので、適当に使い分けているそうです。


私には、「私は日本語教師なので」という錦の御旗がありますから、
これからも可愛い「ら」を護っていく所存です。


と言ったらもう、この記事が終わりますので、もう少し書かせてください。

ネット記事の書き手のみなさんの中にも、
普通に「ら」がない言葉遣いをする方が増えました。
つい今も、NHKオンデマンドの契約方法を検索していましたら、
NHKやそのほか新聞社系のサイトにはないのですが、
民間のビデオオンデマンドの広告には結構、

今なら1ヶ月無料で観れる

と書いてあるサイトがあります。
せっかく「見る」と「観る」を使い分けているのに、
「観れる」は惜しいなあと感じてしまいます。
そういう私は少数派になっていき、あと30年も経つと、
「ら抜き時代生まれの人々」が社会の労働層の大半を占めるでしょう。

「tamadocaおばあちゃんの若い頃は、
   食べれるのことを、食べられる、なんておっしゃっていたんですってね」

と、介護ヘルパーさんに言われるようになると思いますので、
そうなったらもう、降参します。

もちろん、生徒に、なぜ「ら抜き言葉」が始まったのかを訊かれます。
教科書やテストでは出てこないが、周りの人がほぼ、ら抜きだからです。

「い」の音の動詞が可能形になると、

・ます⇨行・ます
・ます⇨読・ます

と、「ます」の前の音が変化するだけですが、
これが「え」の音の動詞となりますと、

食べ・ます⇨食べ・られます
教えます⇨教え・られます

と、「ます」の前の音は変化しないものの、
そのあと、「られます」と、ら行の音が2つ続きます。

これが「えます形」の⇨「可能形」の⇨「辞書形」ともなりますと、

食べ・られる
教え・られる

と、ら行の音が3つ続きますね。
2つでもかなり、舌の運動が要求されるのに、
3つともなると、一生懸命言わないとなりません。

「ら」を一つでも抜きたいのは、舌が疲れるからかもしれませんね。

と、生徒たちには話しています。私見です。

でも、いくら疲れても、教師からすると、舌にはぜひ頑張ってもらいたい。
「ら」を一つ抜いただけで  なぜかちょっとこう、
さぼっているというか、レイジーに聞こえてしまうのです。

「あなたは私の生徒なので、とりあえず
   レッスンと、試験の時には、ら抜き話法はやめてくださいね」

「他の皆さんが、教えれる、開けれる、と言っている世界で、
    外国人のあなたが「ら」を抜かずに話すと
    見る人が見れば、『よく勉強したんだな』と思ってもらえます」

そんなふうに話しています。

それから、食べ・られます⇨食べ・れます

はまだ良いのですが、
可能形に変えた時に「ら音」が入ってこないはずの「います形」であっても、
こんどはわざわざ「れます」と言うことがありますね。

行きます⇨行けます

で、楽なのに、わざわざ「行けます」と言います。

読めれる・遊べれる・運べれる・・

これは、られる が「れる」に置き変わりつつある世の中なので、もともと「ら音」と関係ないはずの言葉にも、「れる」を流用するようになったのか。
・・・と、思っています。

自分は喋るのが仕事なので、ら音がいくつ続こうと平気ですが、
全てのことは世の趨勢すうせいです。
愛しい「ら」を、いつまで護り通せるか、
ちょっと心許こころもとない気分になることがよくあります。




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