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エッセイ416. 3週間の帰省の旅(1):Day1、出発まで

あと2時間で家を出て、夫の国に帰省します。
前の晩は、4年ぶりの多摩川の花火。
「tamadocaたちは前日で忙しいんだから、身一つで来てよ」
と、シート席を取って呼んでくれた友人夫婦が、大変なおもてなし。
ブランケットに、宴会並みのご馳走にアルコール。
花火が始まるまでは食べ物ばかり見ていましたが、始まってびっくり。
花火が、ひるひるひるひると言いながら打ち上がると、ドドンとか、ばちばちバラバラとか、音と開く花火の時差がほぼない近さ。
写真に撮ろうとしても、収まらない大きな花火に、
体ごと呑み込まれるような1時間でした。




暗くなった土手はとても寒くて、
「二人は明日からまた春から夏をやり直すんだね。
体がびっくりするから、気をつけて行って帰ってね」
と言われて 一行と別れてきました。


気が立ってしまったか、今朝は4時に起きてしまい、そうだ、今からずっと起きていれば、飛行機の中で眠くてよく眠れるでしょう! (赤ん坊か)
と思って、起きてから、ずっと起きています。
もう、今は激しく眠いです。

荷物はスーツケース一つだけ。
かつて、二人の幼児づれだったり、二人前の振袖を持って行った時は(NZで前撮りをした)、半端ない荷物でしたが、今回は小さなバックパックと、中ぐらいのスーツケース一つです。
全てがダウンサイジング。

電子ビザ、よし。
パスポートよし。
荷物よし。
ゴミ捨てよし。

タクシー、良くない!

当日は「予約」できなくて、時間指定ができないそうです。どこもそうでした。
ウーバータクシーは、すぐ来てしまうという。
しかし私のように、転んだり滑ったりしてあちこち骨折の多い女は、荷物が小さくても普通のバスに乗るのも怖いです。
しかも羽田からNZに行くのは初めて。
セントレア(中部国際空港)も、成田も、当たり前のように車で行って、3週間駐車しても、なんだっけ、15000円ぐらい。
羽田はそういう駐車場がないので(あるかもしれないけれども私はよくわからない)、荷物を引っ張って、いろいろ乗り換えをしながら行くのだそうです。
せめてなー、タクシーが駅まで連れて行ってくれたらなー。
見通しが甘かった・・。

仕事はほぼしないし、急にすることになっても教材はiPadの中に入っていますので荷物になりません。夏服の着替えぐらいしか持ち物がありません。荷物の半分はお土産です。それがはけたら、今度は自分たちや友達用にお土産を買うのでしょう。

去年も行ったとはいえ、義母の旅立ちに間に合うように、取るものもとりあえず駆けて出ましたし、行きも帰りも私は一人でした。おみやげだの、本だの、考えるどころではありませんでした。
去年の渡航と、義父が亡くなった年以外は、ジグソーパズルやら手芸道具やら、いろいろ持っていきました。子供の夏休みの宿題とか。はるか昔に感じます。

荷造り簡単に終わっても時間がいっぱいあったので、冷蔵庫を空にしました。
今週は買い物も控えていたので、楽でした。
もうこんな感じ。




野菜も、冷凍できないものは食べてしまい、できるものは冷凍庫へ。

おおー、糠漬けに三五八漬けの床、味噌や調味料しかありません。

いつもなのですが、本当に行けるのでしょうか。
これは故のない心配ではなくて、空港で私だけしょっぴかれたことが二度あります。
一度は、帰りの飛行機に乗る日から数えて、まる1ヶ月後の日に、パスポートが有効でない人は、そもそもニュージーランドに入れてあげませんという法律があります。私のは、帰る日にももちろんちゃんと有効でしたが、その1ヶ月後の日より、1日前で、期限切れでした。そう、帰国したら更新するつもりだったのです。私にとってパスポートとは、定期券みたいな感じだったんですね。切れる前に新しくすればよし、みたいな。
それが、帰国の日のその先1ヶ月前まで、有効でないとだめって・・・。
そんなのどこに書いてありますのん? とすがりましたが、
書いてなくても、みなさんご存知ありませんが、そうなのです。
と厳しく言われてしまいました。
美人のANAの女性が、「こちら(セントレア)から搭乗していただけますが、成田とオークランドで必ず拒否されます」と言われて腰が抜けそうになりました。あわや、セントレアの露と消えそうになりましたが、私だけその場でチケットを捨て(捨て!😭)、買い直して、行ったのでした。

その前の一回は、オーストラリアで飛行機を乗り換えたようとしていたら、
「あなたは、帰りの切符がない人なのでここから先へは行っていただくわけにはいきません」
と私だけ言われました。
当時は、1年前の帰省の時に、NZで発券する1年オープンチケットを使っていました。つまり、前年の帰省の帰り道用に、NZで買った往復圏の、「往路」チケットを使って日本に帰り、翌年1年以内に、「復路」を用いてまたNZへ帰省をし、現地に着いたらチョン、で終わり、ということをやっていたのです。
ところが、片道で入国してドロンしてしまう人が増えたとかで、またまた私だけ、シドニーで止められました。映画に出てくるような、ケーサツの取調室のようなところに伴われました。夫と二人の娘たちはNZ国籍がありますのでいいのですが、私はたぶん、見た目も、いかにも困っているアジア人女性のように見えたのでしょう。家族のパスポートを出し、娘らには私の苗字と夫の苗字がくっついている部分も見せ、

ね、この人、🫱私の夫ね?
これ、🫱私の子供たちね?
私の名前これね。
夫の名前これですね?

と見せても、係官は首を振るばかり。
あなたがたが何を言おうが、あなたが帰りのチケットを持っていない以上、ここを通すことはできませぬ。

とおっしゃるのでした。

そのときは幸い、帰りの切符を手配して持ってくれているNZの旅行社が、すでに営業時間だったので、義父に走ってもらい、そのチケットのコピーをファックス(ファックス! 😭)で空港に送ってもらい、変なアジア人の女である私も、チケットがあることが証明されて、無事、行くことができました。
なんか・・・名前がアナウンスされている広い空港内を、幼児らの手を引き、
ドドドドドドド・・・
と走ったような記憶があります。
あるいは、走っていないかもしれませんが、走っていたんだと思いたいぐらい、泣きたいぐらいハラハラしました。

そういうことがありますので、向こうに着くまで油断はできないのです。
大人二人だからなんとかなるのでしょうけれどもね。

でも夫がさっき言うのです。

「いや〜、今までは親たちが車で迎えに来てくれて、
実家に大荷物を置いて何もせず、
休暇中の旅行も、勝手知ったる北の島だけだったけど、

今回、南の島とオーストラリアは、全て、日本でレンタカーやモテルを予約し、日本で料金を支払い、ガイドブックを見ながら行くので、なんか・・
なんかまるで・・・・海外旅行みたい!」

考えたら夫は、20代の頃に一回ヨーロッパに行ったときと、初めて日本にきた時以外は、海外旅行というものをしたことがないのだそうです。

えっ、なんかアメリカとかシンガポールとか行ってたじゃない?

と言うと、あれは出張で、全て決まっているので、旅行ではないという。

「私、なんか不安だなぁ。外国に行くのは」

と、このおじさんは言うのでした。

やめて、不安、て言わないで。
私なんか、一歩日本を出たら、行動力はだいたい、小学校高学年ぐらいに下がります。
頼りの連れが、外人のくせに、そんなことを言うと、ものすごく不安です。

でも、出発まであと50分。
無事を祈ってくださいますか?

行ってきますね。


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