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エッセイ205.2022年初頭のラプソディー(4)長女がコロナに

母が徘徊していて階段から落ち、私がiPadを踏んづけて壊したのと前後して、
京都の一人暮らしの長女が、コロナになったとLINEしてきました。

彼女は今までに二度 濃厚接触者になって、自宅アパートで10日間ずつ、隔離をされました。

私も次女もそれぞれ一度ですが、濃厚接触者になり、
今は全く使っていない私の教室にそれぞれ一週間、引きこもりました。

もはや、どこかの誰かの病気ではなくなったコロナですが、
長女が感染したのは、感染者数が特に今より全然高かった頃だったので、
かなり心配しました。

LINEを読んですぐ思ったのは、
私が行ったとしても、一緒の部屋には いられないだろう。
けれども、近くの安い宿をとって仕事をしながら、
食事や要るものを届けようかなということでした。

足の下の地面が急に持ち上がって、自分も一緒に持ち上がって、
ふわふわと浮いたまま。
ずっと地面に降りられない感じになりました。

「行くしかない」という強い衝動があります。

熱が高くて喉が渇いてしかたないのに、立って水を飲みにもいけない。
何かあっても携帯をかけることもできない。

そんなことになっているのではないか。
そういう、悪いことばかりを考えてしまうのですね。

でも自分は親から、
「何かあったらどうする」と言われて、
なんでもかんでも禁止されて育ちました。

それがここ数年は、
「俺たちに何かあったらどうする、後悔しないのか」
と言われて、いいように振り回されております。

自分の子供達にはそういう育ち方をさせたくない。
ここ数年の私のキーワードは

「それは子供が決めること」

になってきています。
(以前はそうではなかったので、摩擦も多く、子供を苦しめました。)

長女の住む京都の下町のアパートは、オートロックでもなんでもなく、女性に起こるいろいろな事件の報道に触れると、胃がきゅっとなるぐらい心配になるのでが、考えないように脇に置いてきました。

それが、コロナに罹ったと聞くと、「今回だけは行くものでしょう」と、強く思ってしまったのです。

夫にそれを言ってみたところ、

アパートのドアに食べ物の袋をぶら下げて帰るということなら、
君が行かなくても誰かができること。
そうはしないで食べ物飲み物が届くような方法を考えた方がいい。
ウーバーイーツとか。
それに、今のこの時期に、君の新幹線移動も心配。

と言われ、それはそうだなぁと思いました。
なぜ私は夫みたいに、全体を広く見て考えるということができないのでしょう。
そうか、私が行ってもしょうがないんだと思い、がっくりきました。

「どんな感じ? 行かなくてもいい?
    部屋には入らなくても、何か届けたり、様子を見に行ったりはできるけど」

と、往生際悪く本人にLINEしてみましたら、

うつるから来ない方がいい

ということでした。

LINEで知らせてきた2日ぐらい前から症状が出ていて、
40度近い熱が続いていて、咳が出て喉が痛いということでした。

食べ物は、近所の同僚がドアにぶら下げて行ってくれるから大丈夫。
お風呂に入りたいけど、ちょっとその力が出ない。

と書いてきました。

高い熱は全部で4日ぐらい続き、全身の節々と筋肉がとても痛かったそうです。
症状が結構きつかったから、
オミクロンじゃなくてデルタだったということはあるのかな、
と本人は言っていました。
味覚は少しずつ戻り、今では遠くの方で味がする感じ、と言っています。

それにしても、

「いま、どんな感じ?」
ーー体が痛い。

「味は? 感じる?」
ーーいや全然。

「保健センターは?」
ーー全然つながらない。食べ物貰おうと思ったけど。

そんなやりとりしていた間は、実家の姉のことも、
ますますわけのわからなくなる親のことも、ほぼ考えなかったと思います。

慌てていたのか、このあたりの1、2週間のことは、
カレンダーを見ても書き込みがないし、何も思い出せないのでした。

頭がパニックだったのですね。


続きます。

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