エッセイ513.自分は認知の歪みから自由になれるのだろうかという話。
私が2011年にカウンセリングを受け始めたとき、1回目か2回目で、
ご主人は認知の歪みはありますが、
tamadocaさんも もちろんありますよ。
とカウンセラーに言われ、愕然としたことがあります。
あの、私がですか?
「はい」
夫だけじゃなくて?
「そうですよ」
娘のことで相談にあがったのですが・・私が・・?
「はい」
はあ・・・・・・・・・・・
「知りませんでしたか?」
・・・・・・・・知りませんでした・・・・・
私は自分のことを、それまで、
嫌になる程の常識人、人に煙たがられるほどちゃんとした人
だと思い込んでいまして、今なら絶対に、そんなことは違うと喜んで断言しますが、悲しいことに当時は自分のことを、本当に知りませんでした。
このカウンセラーさん、大丈夫かなと思ってしまいましたが、通えば通うほどにセッション時間は増えてゆき、老親との関係もこじれにこじれ続けました。
娘たちとはしょっちゅうぶつかりあい、まるで、もぐらが二匹しかいないけど、穴が100個ぐらいあるモグラ叩きに、無理に参加させられている感じでした。
私が落ち込んだり、攻撃的になったり、非常にいかん状態になっていたのに、
あの修羅場を伴走し、それでも見捨てずにいてくれる夫は、
たぶん、この辺で一番ぐらいに、良い人だと思います。
先々天国では、釈迦か、キリストか、アッラーの隣の隣ぐらいには、
席がとってあると思います。
カウンセリングは私にとり、麻酔をしないで歯を抜くぐらいに痛くて辛いものでしたが、受けて良かったと思っています。
分け入っても分け入っても青い山
と慟哭したのは山頭火でしたが、私も、
(通っても通っても先がある・・・)
で、当時は本当に大変でした。
カウンセリングを通して、生まれた時から親に植え付けられた考え方の癖、盆栽のように無理くり形づけられた心、認知の歪みというものは、そう簡単には変わらないものだと知りました。
ある日、天白川の遊歩道を歩いていたら、私は急に「頭虫」の群れにつっこんでいました。
「頭虫」は自転車などに乗っていると、目や口、鼻にも入ってきてしまうことのある、小さくて、いつも大勢で群れている虫です。
うわっち!
と、思いながら頭のあたりを払っていたら、思い出しました。
子供達が小学校低学年の頃、
「今日は頭虫がすごかった」
というようなことを時々言うので、頭虫とは何か、訊いたのです。答えは、
「おかん知らないの。頭にだけ、たかってくる虫だよ」
そういや、頭にだけたかってくる虫がいるね、と思ったのですが、これは考えたら大間違い。
私たちの頭には目がくっついていますから、虫の群れに突っ込むと、それをみているのは頭にある目ですから、頭だけに虫がたかっていると思ってしまう。
でも虫は、別に私の頭に向かってきているのではなく、虫は虫として、虫の理由があってそこにワンワンと飛び交いながら、上がったり下がったりしているわけです。
そこへ人間が入ってくるが、人間は、この虫は頭にしか たからないと、思ってしまうのですね。
これは私にとって、大変な「認知の歪みのメタファー体験」となりました。
似たようなことが、つい昨日ありました。
私は台所食べ物くずで生ごみコンポストをやっています。
これも、自分が食べないから「くず」と認知しているだけで、茄子のヘタが「野菜くず」で、それ以外が「有用な野菜」であるわけではありません。
虫が飛び込まないように普段から注意していましたが、先週、バッグの中にコバエが大発生しました。
初めてその幼虫や成虫を見て、私はそれがコバエだと思うことができなかった。
なぜかというと、すごく小さかったから。
私はLFCコンポストのコミュニティに書き込みをし、
「これはなんでしょうか。小さくて、ショウジョウバエとは思えません」
「コバエなら知っているのですが」
とか書いてしまいました。
でも、違いますよね。
コバエは卵から生まれたときも、羽化して飛び始めた時も、小さすぎておそらくほぼ、見えないのでしょう。
私が「あ、コバエだ」と思ってきたのは、何日かめの、成長して目に止まりやすくなったコバエに違いありません。
それを、
「この子らは小さいのでコバエではない」
と決めつけていたという、これも、大きいところを見ることができない、自分の癖だとよくわかりました。
認知の歪みのために、せんでもいい遠回りや、余計なことしい、どうでもいいことで走り回っていることが多かった・・。
人間、原寸大で物事を見ることができれば、もっとハッピーになれますよね。
私を悪い見本にしていただくと、良いと思います、いやほんと!
トップ写真、雉のローストとかではなくて、デビルドエッグなのですが(今晩生徒が遊びに来る)、例の大発生したコバエが飛び回っているので、しょうがなくボウルを被せています。
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