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エッセイ531. 親道とは

昨日、今は冬のシドニーに住む長女と、久しぶりに飲みながら話しました。
日本との時差はそれほどでもないのですが、うちの子らは姉妹揃ってほぼ、こちらからのメッセージには応答しません。
例外的には、こちらから電話をすると着信を見て、その日のうちに掛け直してきますが、それは緊急だと思うからだそうです。
なのでこちらからの電話は、じじばばが亡くなったレベルでないと、まず、しません。
なぜかというと、「元気かな」とか、「そういえば、あれどうなったかな」ぐらいで電話をすると、上の娘も下のも、「電話も、応対しなくても良い」がデフォルトになりそうなので、怖いからです。

さて、一夜明けて自分のスケジュール表を見ていたら、去年の今日のことがメモしてありました。

去年のこの日の晩、珍しく長女からLINEビデオがあったのです。
「もしもーし、どうした?」
と言いましたら、

おがあざん・・・・おなが・・いだい・・

と もう全部、濁点付きの唸り声。

「この前からずっと痛かったやつ?」
「そう」
「そうか。今の時間だと病院も閉まっている?」
「閉まってる」
「どのぐらい痛い? 動ける?」
「うごげない」
「救急車呼べる?」
「救急車馬鹿高いので呼びたくない」

この子には、私が思い入れ強すぎてがんがん干渉してしまったためだと思うのですが、私が上から言うと、まず、閉じます。
よし、バトンタッチだ!

「私はそっちの病院のことがよくわからないので、
今一旦切るから、お父さんにすぐ電話しなさい、いいね?」
「わがっだ・・」

娘は、運よく職場にいた夫と話ができ、夫はウーバーでも友達でもいいので、お金を気にしている場合ではない、すぐに病院に行けと言ったのでした。
で、同僚が長女のアパートに車で駆けつけてそのまま緊急入院。
長女は手術の必要な状況でした。
手術をすべきかどうかを、12時間待って様子をみたため、次に長女と話せたのは翌日の晩でした。

この、何もできない感に、私はひどく打ちのめされました。
無力感とか焦りとか、なんでもっと早く言ってこなかったのとか・・

さてオーストラリアは、ニュージーランドと同様に、宗主国に英国を持ち、社会福祉制度も3つの国はとても似ています。

医療は、基本無料ですが、耳鼻咽喉科、歯科、などは無料ではなくていかも高いので、義父母なども自衛のために個人で民間の保険に入っていました。

無料で診療は受けることができますが、いずれ手術になるものを抱えていても、それは順番待ちで、ひどい場合は1年とか待ちます。その間、大きくなっていく腫瘍があってもです。我慢できないほど痛くなったら、出直して診療してもらってもいいそうですが、それでも順番を飛ばして手術をしてくれるわけではありません。
考えてみると、どんなことでも予約もなしに病院に駆けつけて診てもらえて、必要なら緊急で手術をしてもらえる日本。
これが当たり前である日本がどんなに安心で、有難い国であるかがよくわかります。

オーストラリアでも緊急用のクリニック(ER)はありますが、そこも予約待ち1週間が普通。待てない人は直接行きますが、7~8時間待ちは普通だそうです。

先般、長女が甲殻類アレルギーで顔の輪郭が変わり、目が開かなくなってERに行きましたが、6時間待って、

薬局で抗ヒスタミンの痒み止め買って飲んで、保湿クリームを塗りなさい

と言われて帰されました。
ですが、1ヶ月しても治らず、私もアトピーっ子をもつ友人のアドバイスで、良いと言われたものを送り続けましたが、それでは全く好転しません。
思い余って近所の皮膚科で私が診療を受け、事情を説明して、保険でカバーできなくて良いのでと言って遠隔診療してもらいました。

「これは肌荒れでなくて、何かの食物アレルギーです。
右手で何か、甲殻類を食べ、右手で目を擦ったと思う。
右目の方がひどいですから。
向こうは風味漬けにエビパウダーとか大量に使って、表示もしないので、
危ないから、なるべく自炊するように、スナックなどは食べないように伝えてください。
これは痒み止めや塗り薬ではなくて、まずアレルギーの薬を飲み、
そのあと、これとこれをつけないと治らない」

そういう診断をいただきました。

それで処方された薬を送り、飲んでみたら、二日で治りました。
日本の医療すごい。


このことがあってから、私は気持ちを変えました。

それまでは、

海外で、変な奴にデートドラッグでも盛られて、
シャブ中にでもなったらどうする。

治安の悪いところで連れ去りでもされたら。

あの狂乱物価、狂乱家賃の国で、失業でもしたら。

と思っては、いたたまれない気持ちになっていましたが、
このときに初めてぐらいに、いやもう、そういうことじゃないんだなと。

親にできることなんてもう、ほとんどないのです。

あっても、手を出してはいけない。
ここまで遠く離れてしまったら、何もできない。
だめなときはだめなんだ。

親であることはやめられないのですが、そう思うしかないです。

アメリカのグルメ番組で、フィルという名前のおじさんが、
各国に旅をして、友達にいろいろなおいしいお店に連れていってもらう、
というのがあります。
その番組の最後で、現地のホテルから必ずオンラインで自分の両親のいるところに連絡をして、会話をしますが、こんな感じです。

「今日のあれはうまそうだったじゃないか」
「うん、父さんもきっと好きな味だよ」
「あれは食べたの?」
「あれって・・ああ、母さんのおすすめのやつね。食べられなかった」


コロナ禍で、なかなか会えない親とこうして話をする人は爆発的に増えたと思うのですが、私はときどきこの番組の最後のこの部分をを思い出すんですね。

最近久しぶりに見たら、お母さんがいなくて、お父さんがフィルの奥さんに付き添われる様にして出てきました。
フィルもいいじいさんですから、そのお父さんは非常な高齢です。
お父さん、世界を飛び回る息子の活躍をオンラインで見たり聞いたりしながらも、きっと滅多には会えなかったろうな。
年に1回、クリスマスとかだったのだろうかな。

うちの長女は移住後、まだ一回しか帰省していませんが、それも出発から18ヶ月後のことでした。
最後に会ってからは、そうだな今月で・・8ヶ月になっていますね。

自分は東京生まれ育ちで、親元を遠く離れたり、盆暮に帰るなんていうこともなかったのです。
そのためかなんとなく、娘らも、大学を卒業してからも、数年は一緒に住むように思ってしまっていました。
いやいやとんでもない、二人とも、大学を卒業して出ていけるのを待ちかね、後ろも見ないでたぁ〜っと出て行きました。
2022年なんか、4ヶ月のうちに一家が、名古屋とシドニーと東京と、あっというまに散らばりましたな。

親道とは諦めることと みつけたり。

子供はどこにいても、元気でさえいれば幸せです。
・・・と、いつかは心から思えるように、頑張ります。


「腹ぺこフィルのグルメ旅」  Netflix  お勧めです。

原題は、Somebody Feed Phil 
だれかフィルに食べさしてやっとくれ
っていう感じですかね。



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