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エッセイ140. 小さい頃 不思議だった物語の世界 (2)ドリトル先生航海記

朝日新聞は、古典の再鑑賞に熱心というのでしょうか、
しばらく前までは、土曜日Be版に、手塚治虫さんの「火の鳥」の続編?の小説版を載せていましたし、今は朝刊に、「ドリトル先生」のそれ版を載せています。

私、どういうわけか「カバー曲」とか、他の人の書いた「続編」とか、スピンオフムービーとか、好きではないです。

柳の下に泥鰌どじょうは二匹いないでしょう。

みたいに感じてしまいます。

まさか、「ご本家に無礼であろう!」 とまで思うわけではないのですが、
なんとなく、オリジナルがちょっぴり蹂躙されたような気がするし、
そういうのを始めようとする人や出版社や映画人が、
なるべく楽しようとしているように思うし・・・で、
オリジナルに感動したことがあればあるほど、受け付けない感じです。

無理して鑑賞しようとしても、楽しめないのです。
頭が固い女! とお呼びください。ザッツ・オーケーです。

一時期、日本の人気作家に、「風と共に去りぬ」の続編を書かせたり、
超訳をさせるという、なんだかなぁ〜、なことが続きました。
有名な続編「スカーレット」さえドン引きしたのに、読むわけはありません。

それはそうと、そんなことを言いながら、朝日朝刊の「新・ドリトル先生」は、
一時期ガラパゴス諸島に行っていたようで、
薄目を開けてさっと見るだけなのでよくわかりませんが、
ガラパゴスゾウガメなんかも挿絵に出ていたので、
ついちょっと、節を屈して読んでいました。
自分もガラパゴス諸島から漂着した亀🐢教室ですから。


そのドリトル先生ですが。
もちろん、エディ・マーフィーが、映画でやってたみたいですけど、
見ませんでした。
エディ・マーフィーは大好きですが。

かといって、歌えないので有名なミュージカル・スター、レックス・ハリソンが出演したドリトル先生も、全然感心しませんでした。
間違って、見てしまったのですが・・。

だってものすごいミスキャスト。
ドリトル先生は、ころころ小太りで愛嬌があるのがチャームポイントなのに、


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萌える〜




これじゃ無理、入り込めません。歌えないしレックス・ハリソン。(しつこい)
かっこよければいいものじゃない、という好例です。
    

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それはともかくとして、子供の頃の私は、語り手であるドリトル先生の助手の少年・・・名前はなんていったっけ、書いているうちに思い出すかもしれませんが、・・ボビンくん、みたいな変な名前でしたが、その少年が、ドリトル先生と出会い、こんな素敵な人で、こんな変わった人なんです、魅力はね・・と語る部分があります。

ボビン君によれば、ドリトル先生のお家までも素敵であります。
とても小さいが、とてもカンファタボーである。
たとえば、ダイニングテーブルの周りは、狭くて
周囲をひしひしと家具に囲まれているのだが、それが実はよいところで、
例えば、塩をとって欲しいと思えば、立っていかなくても、
座ったままで手を伸ばせば、塩に手が届くのである。

ボビンくんたらそういうことを、快適なこじんまりした暮らしの
魅力的な部分として挙げているのでした。

それを小学3年生ぐらいの私。

「え、普通じゃん」

でした。

昭和に建てられた、都内の狭い借家住まいでした。
下町江戸川区です。
友達の家だって、狭いものが多かったです。
お風呂のないうちは珍しくなく、徒歩5分以内に、3軒も銭湯がありました。
(不二乃湯・椎橋湯・幸泉湯です)

外国の物語を読んでいれば、
ご飯を食べるためだけにある「食堂」。
くつろぐためだけの「居間」。
パパがスモーキングジャケットを着て、葉巻を手に、
本を読んだりするためだけの喫煙室や図書室。
台所、召使いの詰所、住み込みの使用人の部屋とか・・・。

そういうのがあるらしいとは、読んでいて知っていましたが、
自分の現実は、寝る時間になったらちゃぶ台を片付けて布団を敷くという、
マルチ・ファンクションな暮らしでした。

我が家の居間は、6畳一間に5人が座れる四角い座卓を置いたら、
あとは茶箪笥と、家族の箪笥を二竿置いて、もういっぱいです。
移動はカニ歩きでした。
塩の壺はおろか、なんでもかんでも座ったまま手が届きます。
たまたまそのブツの近くに座っていた人が、
言いつけられてそれに手を伸ばすだけ。

だから、

「食卓にいてなんでも手が届くんですよ! 」

と ボビン少年に力説されても、江戸はるみさんのように、小首をかしげて、

それが?

というしかない、江戸川区立東小松川小学校3年生の私なのでした。


ここまで書いても、少年の名前が思い出せませんでしたので、
ちょっとウィキペディア先生に訊いてきますね。

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・・


お待たせいたしました。

ボビン少年ではなくて、トーマス・スタビンズくんでした。
ちょっとは似ていなくもないですが、失礼しました。


ドリトル先生は、Dolittle   これは、少し・する  ではなくて、
なぜなら、少し= a little でして、
a のつかないただのlittle は、ほとんどない、しない、という意味ですから、
ドクター・イタシマセン  ・・・と言いたいけど、ダメですよね。
ドクター・Xじゃないですからね。

ドリトル先生、いろいろあるので、続きます。


私が読んでいたのはまさにこのバージョン。
当時は、ハードカバーで、箱に入っていました。
訳者がまさかの井伏鱒二!  山椒魚の先生!
これにはびっくりします。


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ドリトル先生については、続きます。


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