エッセイ479. 「異人たち」と「異人たちとの夏」(1) 似て非なる・・
私が若い頃から何度も見て、大好きな映画の一つに、山田太一原作の「異人たちとの夏」があります。
監督は大林宣彦。
いくつか不満なところ、ツッコミどころも多い映画ですが、忘れられない秀作です。
昨日、これをイギリスでリメイクで映画化した「異人たち」を、日本公開初日に見てきました。
感想ですが、実は観た直後、すごくお腹一杯になり、「一度観たらいいかな」(気が済んだ、的な?)となりました。ところがあれからちょうど1週間経ち、じわじわと好きになってきて、また観に行こうかと思っているのです(この部分は、これを書いてから1週間目です)
最初にすぐ気持ちがいっぱいいっぱいになったのは、たぶんですが、自分の「異人たちとの夏」への思い入れと、新しい映画「異人たち」が表現しているものとの間に、大きな開きがあったからだと思われます。
「異人たち」を観ている間中、「イニシェリン島の精霊」を観ていたときに感じた不安感と違和感を感じ続けたのです。
あれよりもずっと救いはあるのですが、全体にとても暗いこと。それからもともと自分が、主人公に感情移入しすぎる性格なので、見ていて辛くなっていたようです。
「問題作」が苦手で普段逃げているので、そういう意味で重かったけれど、観て良かったと、あとからじわじわ思ってきました。
以下、最初に「異人たちとの夏」(1)
続いて昨日見てきた「異人たち」(2)、最後にもうちょっと書きます(3)。
よかったらおつきあいください。
日本映画「異人たちとの夏」」の公開は1988年だそうです。
今もDVDやレンタルビデオで見られるでしょうが、日本ではUnextで今なら観られます。
イギリス映画「異人たち」と見比べようと思われたら、
以下はネタバレを含みますのでお気をつけください。
ストーリー他はこちらで:
https://ja.wikipedia.org/wiki/異人たちとの夏
これから書くストーリー再現は、記憶からですので、状況設定やセリフなど、細かいところは間違っていると思いますが、ご容赦ください。
主人公の原田(風間杜夫)は売れっ子の脚本家です。
映画が始まった時点では、冷え切った元妻とのやり取りで気が立っている感じです。仕事関係や取材先などでも、なんだか緊張していて、不安な様子が観られます。
この辺の演技、当時つかこうへい劇団の花形として飛ばしていた風間杜夫と全然違います。
売れっ子の原田は、高そうな素敵なマンションに一人暮らしをしています。
そこへ訪ねてくる同じマンションの女性が、ケイです。
夜に一人暮らしの男を訪ね、飲みきれないシャンペンを一緒に飲みませんかというケイを、ドアから押し出すようにして断る原田です。
原田はある日、ふと訪ねた浅草の演芸場で、
子供の頃に交通事故で亡くなった父親に会います。
浅草は、12歳で両親を失くすまで原田が住んでいたところです。
原田は衝撃を受けますが、父親はまるで当たり前のように、
「うち、来るか?」。
父親に連れられて、木造モルタルアパートに行くと、
若い母が夏もののワンピースを着て、そこに普通に住んでいます。
なんの説明もなく、3人は夕食を食べます。
この日以来、孤独な原田の生活が大きく動き出します。
味気ないマンションでの執筆の合間に、
両親のアパートを訪ねて二人と過ごす原田。
キャッチボールをしたり、母親の手伝いをしたり。
暑いので、昔の人はランニング一つになります。
親父たちは、ランニングとステテコです。
お母さんは、昔はアッパッパと呼んだ木綿のワンピース。
両親と話すときは、表情も明るく、子供っぽくさえある原田。
こんな時間の流れる中、原田は一度は冷たく追い返したケイと
恋人関係になっていきます。
しかし、時の止まったようなこんな日々の中で、
原田は白髪が増えてきたのに気づきます。
体の衰えも、人に指摘されるほどまでになっていきます。
ついには心配したケイから、
二人に会いに行くのはやめて。
あなた見えないの?
あなた、すごくやつれているの。
と言われるまでになる。
ここで私たちは死者との交流は、やはりタブーの領域であると気づくのです。
あんなに楽しいのに、だめなのか。
・・・原田もそう思ったように、映画を観ている私たちも思います。
「なあおめぇ、こいつ、こんなに立派になりやがって・・」
と言う父親も、聞いている母親も、自分たちが死んでいて、
ありえない息子との時間を過ごしていることはわかっています。
物語はスピードを増します。
ケイに強く言われ、両親に別れを告げに行く原田。
両親は予想していたかのように、最後にすき焼きを食べに行くことを提案します。
初めての親子3人の外出です。
(もしかして、両親はあのアパートを離れられないのかと思います)
行かないでと言う原田に、そうも行かねえらしいや、と父親。
二人が逆光の夏の西日の中に消えていったあと、3人前の手付かずのすき焼きを見て、
「全然食べてないじゃないか」
と原田は涙するのでした。
ところがこのあと、衝撃の展開があります。
原田の編集者・間宮が心配して訪ねてきて、マンションの管理人から、同じマンションの女性が、自殺していたと聞くのです。
あの部屋ですよ、と指差す先は、ケイの部屋です。
いつも灯りのついていた窓も暗い。
原田の部屋に駆け込む編集者。
(昔は、のっぺりしているようにしか見えなかった編集者やくの永島敏行が、自分が歳を重ねると、なかなかいい奴だったと感じます)
ケイは、火傷の跡がひどいからと、
原田を体を合わせるときにもそこを見せようとしませんでした。
引きこもり、孤独に苛まれ、思い切って原田を訪ねた晩、
冷たく追い返されて絶望したケイは、
チーズナイフで火傷のひきつれのある胸を何度も刺し、自殺していたのです。
「あの人たちと会ってはいけない!」
「この人を助けて!」
と叫んだケイこそが、原田を一緒に連れて行こうとした死者だった・・
この衝撃。
(この辺、「シックス・センス」や「アザーズ」を見るたび、
ああ、「異人たち」のパターンだ・・と思うようになっています)
そのケイに原田は、叫びます。
死者であろうとなんであろうと構わないと。
そこへ駆け込んできた間宮に邪魔され、ケイは去っていきます。
でも、原田の気持ちを聞いて、自ら引いたようにも見えます。
入院した原田のベッドサイドに、つまらなそうな顔の息子。
つまらなそうだけれど、一人で来て、結構父親とも話しています。
なんだか見ていて救われます。
原田は、この子を父親のいない子供にしなかったのです。
原田の自分語りですが、12歳で両親を亡くしてから
ほとんど泣いたことがないと言います。
感情に蓋をして生きてきて、今のような大人になったらしい。
説明的なシーンはあまり多くはありませんが、
大人になって、ある程度成功しても
それだけで幸せではないんだなと感じ、両親に出会う前の原田の硬さが理解できてきます。
親にとっては酷な話なのですが、親の責任でないこと、
例えば親が病気だったり、死亡したりするのも、
トラウマを残すと言う意味で、虐待であるとある本で読みました。
親の不運であっても機能不全家族となり、この先 生きていく子供にとり、
とてもしんどい人生が続いていく可能性が高いのだそうです。
凍りついていた原田の涙を溶かした亡き両親の霊が善玉で、
寂しさゆえの他責で自殺し、原田に取り憑いたケイの霊が悪玉、
と一概に決めつけることはできません。
けれど、一人の人間の生き方に、大きい変化をもたらした死者たちは、
異世界から着たキーパーソンズ、「異人たち」であったのです。
続きます。
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