日本語教師日記その3.女っぽい日本語?
私がしみじみと、遠い眼差しをして、古い話をしても、
気持ちいいのはたぶん、私だけ。
そう思いましたので、これからは、自分のことと、実際の日本語レッスンのことと、取り混ぜて書いてみたいと思います。
今日は、生徒からよく出る疑問について、お話ししますね。
一つ目ですが、
「自分は男なので、男性に習わなければならない」
「女性にならうと女性っぽい話し方になってしまう」
という心配をするみなさんについてです。
私は、ここ10年は一人で仕事をしていますが、それ以前は、日本語学校や、教師派遣業者からの仕事も受けていました。
その頃の話ですが、プライベートレッスンを申し込む生徒の中に、ビジネスマンだった先生がいい、男性の先生をお願いします、と言うリクエストを出してくる男性の学習者が、結構いました。
その理由として、
「女性の先生に習うと、日本語が女っぽくなってしまうと友達に言われたから」
というのが圧倒的に多かったです。
その心配はごもっともではありますが、そうなってしまうことは、まずないと断言しても良いかと思います。
なぜならまず、昔のようにはっきりした女性言葉・男性言葉は消滅しつつあり、日本語自体が中性化しているからです。
M to Fのタレントの皆さんは、一芸として、抽出された「女性らしい言葉」を使っていらっしゃると思います。
けれども私たちが今、周りの女性を見回して、
「あら、やだわ」「やっだぁ〜ん」
的な言葉を操る人は、現実にはほとんどいないと思います。
言われるほど、「日本語は女性言葉と男性言葉がものすごく違う」ということはないのではないかと、私は思っているわけです。
もちろん、女性特有の言葉遣いは、かつては普通に数多くありました。
小津映画の中の女性たちは、明治の女学生言葉から連綿と続く、女性言葉です。夏目漱石、三島由紀夫、新しくは星新一の70年代ぐらいまでの登場人物もそうです。
あら、そんなことはなくってよ。
まあ、芳子さんたら、そんなことおっしゃっては嫌われますわよ。
ありましたありました。
たった50年前でこれです。
「私は日本人の妻から、女性っぽい日本語がうつっているでしょうか」
と心配している生徒に会いましたが、
大丈夫です。あたし、と言わなければいいです。
あたしはまずいです。
それと、あなたはまだまだ初心者で、
奥さんの言葉遣いがうつるほど、日本語で喋っていないはずですから、
そう言う意味でも大丈夫です。
と、励ましているのだかそうでもないのだか、失礼なことを言って安心してもらいました。
次に、プロの日本語教師は、「教室で話すことになっていること」から、滅多なことでは踏み外しません。
前回書きましたように、教科書に出ていない言い方をしてしまうと、たちまちにつっこまれたり、質問が出たりします。
ただでさえ、
先生、来ればいいと、来たらいい、は同じですか。
違いはなんですか?
などと質問を受け続ける毎日ですので、うっかりしたことを言って、墓穴を掘ったり自分の首を絞めるのは避けたいところです。
ですから、導入、展開、練習・・とレッスンを進める間に、リラックスして、雑談をする時間があったとしても、やはり、整った話し方を心がけるものです。
窮屈ではありますが、教科書に載っている「です・ます調」に、わずかに、
あれ、そうなのかなぁ?
それは、違うねぇ。
と、男性でも普通に使っている「カジュアル体」を混ぜて話すようにしています。
これは、教科書体をたくさん聞き、話す時間を持ってもらう他に、
生徒たちが日常的に耳にしているカジュアルな言葉も、聞かせてあげなければ片手落ち
という身に染み付いた教師根性がさせることです。
ですから、くだけた話題のときに顔は笑っているものの、内面は緊張の糸は緩めません。
全ては生徒のため。これですね。
いくら上流の育ちで、地の言葉遣いが上品な女性の教師でも、レッスンでは女性特有の言葉はなるべく出さないようにしていると思います。
(ただ、私が駆け出しだった34年ぐらい前に、すでに60歳ぐらいになっていた先生方は、「元駐在員の奥様だった」系統の方が多く、「わたくし」「あたくし」と言い、「ですわねぇ」というような話し方の方もおられました。)
それと。「丁寧な言葉は、女性っぽい」と思っている人も時々います。
ニュースに出てくる男性の政治家、男性のアナウンサーが、「私は」「わたくしは」と言う。
「私」は女っぽい。
男は「僕」「俺」と言わなければならない
そう思っている人の中に、
丁寧な言葉は自然でなく、女性っぽくてよくない
と言う人がいます。
面接で「俺は」と言ってしまう人がたまにいますので、
その辺の誤解を解くのも、日本語教師の仕事の大事な一つだと思っています。
サポートしていただけたら、踊りながら喜びます。どうぞよろしくお願いいたします。