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日本語教師日記その11.ガラパゴスへの道⑤日本語教育能力検定試験(下)


日本語教育能力検定試験」合格への悪戦苦闘についての続きです。


全く準備をせずに臨んだ一回めの挑戦は、見事に不合格でした。
準備をしなかったのに、それなりにがっかりしました。
驕り高ぶっていた自分を恥ずかしいと(ちょっとは)思いました。


さてどうするか。

日本語教師養成講座は、何年か前に修了しています。
実際に毎日日本語を教えて、経験も積んでいるところです。

受験のために0からやりなおしするのは、さすがになんだか嫌。

かといって、当時は独学のための教材も揃っていませんでしたし、
一人で勉強して合格するような自信もありません。

ネット検索もなかった当時、四谷にあったアルク出版に行き、
そこで見つけたアルクの「NAFL 」という、通信講座に申し込んだのでした。

当時でさえ10万円。

わからないところは質問をしても良いし、
書いて送って添削してもらえるサービスもあるといいます。
そこが、料金のうちなのでしょう。

届いたものは、厚さ4ミリぐらいのB5版のテキストが確か、
24冊か26冊とかだったかな。

え〜、
このペラペラの本を10万円で買ったのか。

書店に並んでいたら、そういう値段では売れないよね?

と思いました。

実際、私は怠けていて、添削も課題提出も一回もしなかったので、
(それができるのも、買ってから1年だけだったし)
なんだったのかというところです。
図書館にあったのなら、通いまくっていたかも。


そもそも、NAFLってなんの略なんでしょう。
今検索したら、同じものが健在でした。
これで準備する人って多いのかしら。


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夢(悪夢の方)に出てきそうなぐらい取り組んだ教科書。
これがまあ、色目も体裁も、私の使ったものと、たぶん全く同じです。

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24冊ぐらい、ありますね。

「・・・・・これで1冊5000円!」

「ぼったくり・・」

と(ケチな)私は思いました。

(1回作ったら、永遠に売れるもんなぁ・・
だけどつまりこの値段は、注いだ労力の対価なんだろうなぁ・・)

しかし文句を言ったとて、
一人では合格できる自信がありません。

また、合格できたなら、ずっと抱えてきた、
畦道を無免許運転しているような後ろめたさもなくなるでしょう。

ここに載っていることを暗記したら、受かるのだ。
私は10万円出して、合格を買うのだ。

そう固く心に決め、勉強を始めました。

暗記ものが多かったですね。
もともと暗記は嫌ではないものの、
地理や歴史にかかる内容は、本当に、
大学受験を思い出すアプローチになりました。

発音については、大学時代に「音声学」が好きでして、
両唇音、撥音・・などの用語も新しくはなかったものの、
検定試験で問われる内容はすごく細かく、すごく難しかった。
(おかげで、今も発音指導のためには役立っています)

物覚えが悪くなっていましたので、
いろいろなサイズの単語カード・情報カードを買い込んで、
手書きでコツコツ書き込んで、暗記に使いました。

あれがどこかから出てきたら、感無量でしょう。

そして、2度目の合否発表のときがやってまいりました。
試験は10月で、毎年12月末ごろに、
合否の通知が郵送されていたと思います。

その年はちょうど夫の実家に帰省していまして、
その間、郵便は局に留め置いてもらっていました。

帰宅した翌日にどさっと届いた郵便物に、
飛びつくようにして合否の通知を探しました。

出てきたのはハガキ。

つまり、不合格とすぐわかって良さそうなものなのに、
開けるまではピンと来ませんでした。

自分が現役の日本語教師であること、
1年間真面目に準備したためか、試験をそう難しく感じなかったこと、
なによりも大金をかけて通信講座を受けたため、
さすがに今度はいけるのじゃないか、
という期待が大きかったみたいです。


また落ちました!


2度目の、しかもよく準備した上での不合格に、
本当に、心から とほほとなりました。


そのあと、休憩をするとだらけてしまうので、早速また勉強を始めました。

次の年は、夏に帰省をしたので、閑さえあればカードを見ていました。
カードを見ながら寝落ち。
今のように、鬼滅の刃を読みながらの寝落ちと、なんたる違い。

今でも義母が、「あなたはよく勉強をしていたわねぇ」と言うぐらいです。


3回目の合格通知は、郵便局に先に連絡をしておいて、
成田からの帰りに受け取りに行きました。

このときはA4の封筒だったので、手が震えました。
そして、その場で開封してしまいました。


やった〜、やっと合格しましたぁ・・・😭  

その場で飛び回りたいのを我慢しましたが、思わず

ぃぃぃ〜やったぁ!

と小さい声が出てしまい、
そのとき前から来た女性と目が合い、恥ずかしかったです。


私の人生では、この検定試験の発表と、
「年齢×10万円」かかった運転免許の電光掲示板による発表と、
大学の掲示板に自分の受験番号を見つけたときが、
トップ3で嬉しかったです。


その後、2年間使い倒した通信講座の教科書は、
日本語教師になりたいというママ友に進呈してしまいました。

残念に思うのは、今それが手元にあったなら、難問や奇問珍問の数々を、
ブログなどのネタにできたなのになぁ、ということです。

「こんな問題がありました」と書きたくても、
びっくりしたことしか覚えていないので、書けないのです。

それでも二つだけ、記憶に残っているものがあります。


Q:10何世紀のスペインで、辞書編纂のために、
  このような働きをし、これこれの偉業を成し遂げた○○氏の・・

(はいはい、いたね! 
○○氏、いたね!
暗記してるよ!
なんでも訊いてください!)

○○氏の母親は何国人であったか。
次の4つから正しいものを選びなさい。


・・・・・そんな殺生な〜!

これは忘れられません。

あとね、これも参った。

Q:明治◯年に編纂され、出版された日本初の和英辞典の名称は、
次のうちのいずれか。正しいものを選びなさい。

1. 大日本帝国大和英辞典  2.・・・・・

1. で書いたのも☝️、でたらめなんですけど、そういう問題が出てきたので、

 そんなの知りませんよ! 🔥

   と、

 それ知ってたら日本語教えられるんですか? 😡😡

という思いがこみ上げたのを覚えています。


ともあれ、3回も受けて合格しましたので、
合格証書は教室の壁に額装して掛けました。
見てくれるのは、教室まで来てくれる少数の生徒ですが、
そして誰からも、これはなんですかと訊いてもらったことはないですが、
気持ちの面では、うじうじしなくて済むようになりました。

そこはよかったです。


これから受験される方に、なんの参考にならず、失礼しました。

これから日本語教師になろうというみなさん。

ゆったりと420時間座学をして、お友達などもでき、
その学校での採用もありえる講座の方へ行くか。

粘り強く、孤独に耐えられる人ならば、
講座ほどのお金はかけずに、合格も可能かと思います。

どちらを選ぶのか、悩ましいところだと思います。
とても面白い仕事です。
頑張ってくださいね。


こんなに足掻いた日本語教師がいたというお話でした。


長い分を最後まで読んでくださってありがとうございました。

サポートしていただけたら、踊りながら喜びます。どうぞよろしくお願いいたします。