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エッセイ142. おうちでロスト・イン・トランスレーション(9)てにをは問題


我が家では日常会話のレベルが二層に分かれています。

下層は日本語の世界で、これは日常語です。
「暑いので窓を閉めてエアコンをかけよう」
「ご飯もおかずもまだたくさんあるよ」
「もう出かけたいので、急いでよ」

というように、プラクティカルで実用的で短文となります。

上層が英語の世界で、これはひとえに、私が短気だからです。

日本語でなるべく夫と話そう、
たくさん話すことで、夫が自然なカジュアル体の日本語に移行し、
ゆくゆくは日本語だけでコミュニケーションが取れるようにしよう!

これが私の尽きぬ夢でありますが、
たぶん死んでもそうならないと確信しています。

日常の事務連絡、ただのおしゃべりであっても、
二度、三度と言い換えても伝わらないことがあって、迷走します。
で、私が途中で諦めて英語に切り替えてしまうのです。

どうしてこうなるかというと、
日本人と非日本人との間のコミュニケーションには、

「助詞問題地獄」と「語順違う地獄」

があるからです。

今日は助詞問題についてお話しますね。

ご存知のように、日本語では「て・に・を・は・の・が・で」の助詞、
これのたった一つで、日本語は意味が違ってきます。

「てにをは」と共に育ったのでない限り、
考えずに助詞の性格を瞬時に捉えて理解して、
使い分けることは、さすがにできません。

みなさんも、

①父は戦場に送られた

と、

②父に戦場に送られた

と、

③父が戦場に送られた

の違いを感じられることでしょうが、これを外国人のわかるように説明するのはなかなか難しいのではないでしょうか。

①父は戦場に送られた。

の文では父が、意思に反して行かされた感じがすると思います。
ここでは、父を戦場に行かせた主体について言おうとしていなくて、
父に何があったかを言おうとしています。
だから「父」の後に、

この人のことを今から言いますよという役目の「は」

があるのですね。


②父に戦場に送られた。

は、話者は父の息子であるところの「私」です。
父を父というのは、本人にとってのお父さんに他なりませんが、
外国人で、まだ日本語ちゃんと習ってない人は、
「誰のお父さん?」「誰の、が書いていないからわかりません」と言います。

私のレッスンでそんなことを言うと、
「まだそんなこと言ってるのですか」😕
と言われちゃいます。

「書いてなければ」=隠れているのは、話者です。私です。

そう、②の文では省かれていますが、文頭に「私は」という主語が隠れています。
「主語隠れの術」という、忍者の国日本にふさわしい、やらし〜い術の一つですね。
この文章は、話者である「私」が、自分の意思に関わらず、自分の父によって、戦場へ行かされたという文です。

ちなみに、これが「父に」でなくて「父親に」と言ったなら、

「話者が誰であるかは関係ない」

場合があります。

話者が、どこかの息子と父親について言っている文である可能性があるのです。
どこかの父親が、どこかの息子を戦場に送るようにしたわけです。

ただし、親が息子に戦場に行って欲しいことはほぼないので、
この文はやや不自然で、非文にならないためには、そうだなぁ・・・

「王子ピピンは、父親である王に、戦場に送られた」

ぐらいじゃないと厳しいかなと思います。


③父が戦場に送られた。

は、その前に必ず、「誰が問題」が来ているはずです。
父が、というからには、誰が送られたのかと言うことが話題になっています。
他の誰でもない、父が、という意味が入ることが多いですね。

もう一つ思いつきましたが、

④父と戦場に送られた。
もあり得ますね。
父と息子が一緒に召集令状もらってしまうと、こうなりますね。

このように、たった一つの文字で意味が違ってしまうのが日本語。


我が家は私が短気なために、夫との話が進まないと、
すぐ、「もういいや!」となってしまい、英語で喋っています。

ときどき、日本語で話しているのか英語なのか、わからなくなってもいます。

妻:え、今なんと言ったの?

夫:英語だった? 日本語だった?

妻:え〜・・・・わからないYO!

ということが、しばしばあります。

夫が、台所にいる私に向かって、(台所まで来るのが面倒くさいため)
声を張り上げるようにして何か言っていることが、よくあります。
台所では、換気扇・食洗機などが大回転していることがよくあり、
言ってることの一部しか聞き取れないことがあります。

夫が叫んでいます。
明日ね、・・・・と あそこに行ってきます。

私も叫び返します。

え?
誰と?

夫からは、「明日行きます」という、ずれた返事。

「違う違う、あのね、誰が?」

と言ってみます。

日本語の「誰」しか聞こえなかったらしい夫が、

はい、私は明日・・・に行きます。

(ああもう、何言いたいのか、かわからないわ、あなた? )

ついに、台所と今の境の引き戸まで出張して、私が言います。

あのね!
誰! が?! 明日!
どこに! 行くの?!

夫・・・・・・・・・・😥・・・ 君、なんか怒ってるの?

・・・・・・いいえ、全っ然っ、怒ってません!🔥

あ、怒ってる・・・・・・・


通じませんし、伝わりません。

日本語なら「誰と」(行くの?部分は省略)で済むところ、

Who will you go with?  (アナタハ、ダレト、イキマスカ?)

と言わないと、夫には通じない。

日本語なら「誰に?」(そう言ったの?)
で済むところ、これまた夫には、

Did you say it to...who?!     (アナタハソレヲダレニイイマシタカ?)

まで言わないと理解してもらえない。
(これも変な英語ですけど、これぐらいしか言えない私)

まさに、ロスト・イン・トランスレーションの沼にずぶずぶずぶ・・・


めんどくさくて発狂しそうになりませんか?



みなさん、みなさんがよく私にお尋ねになる、あれ。

・文化の違いが大変でしょう?

・納豆が食べたくても、食べられないんですよね?

・外国の方は合理的だから、日本人にはきつくないですか?

など。

はいはい、それはそれで、もちろんあるのですが、それ以上に、

簡単なことなのに、助詞に阻まれてコミュニケーションができない、

ということのほうが、私にとっては大問題です。

結婚してはや四半世紀。
ここまで来て、まだこれをやっているので、
死ぬまでこれだろうと思います。

こんな感じで踏み迷う毎日なのでした。

こう言うのが嫌な人は、非・日本語人と結婚するのは、
向いていないかもしれません。

あれ、私こそ、向いていないって?

続きます。

よかったら我が家の日常を覗きにきてください。
https://note.com/bigfish/n/n6ee63c809594


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