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エッセイ292.捨てられない人の一つのソリューション

悪夢のような大急ぎのもの捨て、引っ越しが済むと、
その先はとりあえずタイムリミットがありません。

けれども、家に一人でいるときに
(この箱を開けたいなー)
と思っても、それが、本の詰まった夫の箱の下にあると、どうしようもないということが、多々あります。重くて下ろせないですから。

それでも、たくさんあった箱を一つまた一つと、少しずつ開けていって、
「物を取っておくことの本当の意味」なんかを日々、考えています。

我が家は今までで6回引っ越しました。
その度に「物を捨てる、またとない機会」と張り切るものの、物を見てしまうと、「うううう・・・無理」と、また箱詰めして持ち歩く。・・・ということを続けてきました。

「ねえ夫。次にこれを見るのは、引っ越しのときだよね?」
「そうだね」
「それで、見ただけで、やはり箱に戻しちゃうよね。使わないのに」
「そうだね」
「じゃ、今処分しても、次のときまでには忘れているから、いいよね?」
「そうだね」
「じゃ、捨てます」
「どうぞ」

🙄😐🤔

「・・・・・・・・・無理です」

ということを繰り返しています。

特に厳しいのは、それをくれた人がわかっているとき。
それから、子供がそれを気に入っていたり、
それを着ている子供を、自分が、激しく可愛いと思ってしまっていた時(親バカ)。

贈り物の命は、それを頂いたときに、くれた人の気持ちを喜び、感謝したところで、終わりなのだそうです。
なんという潔い考え方でしょう。
何冊も何冊も読んだ、片付け本(私は片付け本の蒐集家です)に、そんなことが書いてありました。

けれど、今は亡き義母や、義祖母が、赤ん坊の顔を思い浮かべて一目ずつ拾って編んでくれたものなんかは、これは多分一番無理。
信じられない小ささのブーティや帽子、ケープ、カーディガン、セーターに編みぐるみ。

そして、「写真に撮ってから処分すればよい」といういいアイデアも、私には全然効きません。

(写真に撮っても、プリントしないし、撮ったことも忘れるので、
捨てたのと同じ( ;  ; ))

と思ってしまうからです。

なんという思い切りの悪い女。

そこで今日は、とっくにないと思っていたのに大挙して箱から出てきた編みぐるみの身の振り方について、いいことを思いつきました。

我が家のソファは3人がけなのですが、そうすると常に一人分空いていますよね。
そこへ、捨てられない編みぐるみや縫いぐるみを、たとえば2週間などのローテーションで入れ替わり立ち替わり、座らせておく。

そうすると、奴らも私たちと一緒にNetflixとか見られるし、カビ臭そうな箱から出て明るい所のんびりできるし、ウィンウィンなのではないでしょうかね。

そして私は、たとえばこの noteでも、全然関係ないトピックで書いていたとしても、そのときにソファに座っている子の写真を載せるわけです。
それでなんというか、自分が捨てられない、ものへの執着を振り切って、どんどんダウンサイジングが進むのではないでしょうか。


生徒が全員言ってきます。

「先生どうですか、新しいアパートは、快適? 東京に帰れて嬉しい?」
「うんまあ、嬉しいけど、疲れて脱力しています」
「そうですか。だいぶ片付きました?」
「いやいや、もの捨てに時間がかかって、進みません。
これをあと2回もやるのかと思うと、発狂しそうです」
「先生、なんで、もう2回、引っ越しをするんですか?」
「え〜と、だって、ここは賃貸だから、
夫が本格的に退職したら、
死ぬまで賃貸は無理そうなので、小田舎に一回は引っ込むでしょう。
中古の住宅などを買うかもしれません。
それが一回。
その次は、歳をとって身の回りのことができなくなって、
病院と施設を行ったり来たりした挙句、
6 feet under へ最後の引っ越しをするじゃない?」

6 feet underとは、英語でいうところの、お墓の深さです。
つまり、「死んでいる状態」ということの表現だそうです。

生徒はみな笑って、たいてい、

「先生大丈夫、死んだ時の引っ越しは自分でしなくていいから!」

と、慰めてくれます。

そりゃそっか。

でも、義母が亡くなったときは、亡くなる1年前ぐらいに、2LDKの広いマンションから、病院棟の個室へ移って間がなかったため、義妹の家で家具や所持品を預かっていました。それを義妹一家と片付けて、形見わけするのがすごく大変でした。
そこでも捨てるに忍びない現状が起きていて、

tamadoca, これ要らない?
・・いやいや、義妹、どうぞどうぞ。
いやいやそう言わず、tamadoca,どうぞどうぞ。

と激しく譲り合いました。
が、日本に帰る私たちの四人のスーツケースは、義母の思い出の詰まった陶器の置物やアクセサリーでパンパンになってしまいました。

お義母さん、11月末までは、このエフィーと一緒にテレビ見てるからね!

エフィーです。


このエフィーは、夫が赤ん坊のときに義母が編んだものなので、
だいたい年は60歳です。若いふりしてるけど。

本当に、ものへの執着って困りますよね。




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