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私とファミリーコンピュータ

どうも大妖精です。
私の世代はちょうどファミコンが台頭してきたテレビゲーム世代真っただ中でありました。
マリオが35周年ですって。そんな思い出の話をしたいと思います。

初めてのゲーム体験

これについては以前にも書いたのでこちらをご覧ください。

ゲームウォッチを飛ばしてファミコンのお話。
我が家にファミリーコンピュータがやってきたのは小学校4年生の出来事でした。これって発売されてすぐのタイミングですね。早い。
印象としてはテレビCMでバンバン、ファミコンのCMが出るもよくわからずに面白そうねくらいのものでした。
発売前からそれなりに話題になっていて、発売されてから実際売れすぎて手に入らない状態でしたが、まだテレビゲームの面白さもわかってないからふうんという感じなわけですよ。

そして徐々に○○がファミリーコンピュータ買ってもらったんだってというニュースが小学校を駆け巡り始めます。
当時2クラスしかなかったのですぐに伝わるかと言えば教室で話題になるのではなくて、放課後友だちとの話の中でさほど仲良くない○○くんが買ったとか聞いてもまだふうんくらいにしか思わないわけです。

それがだんだんと周りのさほど親しくない人がどうやら結構持ってるらしいという話を聞くようになるんです。近しい人は不思議と手に入れていない。

当時、最初に発売されたソフトはドンキーコングと麻雀だったかな?違った、『ドンキーコング』『ドンキーコングJr』『ポパイ』の三本。
なんでいきなりJrなんだ?と思ったけどもJrの意味が良くわかってない年齢だったのでさておき、どのソフトも友だち同士でワイワイやる感じではないわけです。
なので周りで買ったとして友だちを招いてゲーム大会をするという発想すらないわけです。
だから情報は巡ってくるが本当に持ってるかどうかはわからない。
でも確実に○○さんが買ったらしいよという噂の波は私の下まで近付いてきました。
この感覚は現代ではおそらくもう二度と味わえないでしょうね。

家にファミコンがやってきた

うちにファミリーコンピュータがやってきた時の記憶はですね、我が家で緊急会議が行われたのです。

まず我が家ですが2Kの狭いアパートで両親と妹、私の4人家族です。
狭かったです。とても狭いのにアパート名がマンションと書いてあって友だちから『○○マンションという名のアパート』とバカにされました。
今なら何かしらのハラスメントになります。きっと。

そして小学四年生の私は我が家が貧乏であることを十分理解していました。
低学年は何かあれば祖父や祖母にねだるという技を身に着けていたのでゲームウォッチを5台くらい所持していましたが小学生になりいろんな自我が芽生えた小憎らしい私は素直にねだることも少なくなっていたように思います。
なので「ファミリーコンピュータ、ふうん」程度にしか思っていませんでした。

しかしその日、確か発売されて人気がスゴイ!ってなってる時でした。
母が家族を集めて大発表をしました。

「我が家にファミリーコンピュータが来ます!」

小学生の私が思ったのは「大丈夫なん?」だったと思います。
うちの経済でそんな余裕があるのか?と。
そして来るなら嬉しい!という気持ちと売ってるの?という不安と。
で、それを親に言ったんですよね。
親の答えが

「知り合いに買わないかと言われて、安く売ってもらえることになった」

という返事を聞いたのを覚えています。
すべてにおいて解決の答え。

まあ地元京都で東山区在住ですので。
当時ファミコンがバカ売れで工場生産が追い付かず近隣の職人さんが内職でファミコンの部品を作ってたという都市伝説が残ってますからね。
その職人さんたちは特別にファミコンを安く買えたらしいです。
嘘か本当かは知りませんが。

ただその都市伝説のおかげでファミリーコンピュータが我が家へやってくることになりました。

だがしかし!母の大発表後しばらくの間が開きました。
やっぱり生産が追っついてないらしく、予想よりもだいぶ時間がかかったような覚えがあります。最低一か月は待ったんじゃないかしら?その段取りの悪い親の発表にイライラした。でもいち早く知らせたかったんでしょうね。今ならわからなくもない。
学校では「うちにもファミリーコンピュータ来るねん」と言ったのになかなか来ない肩身の狭さから当時は家に帰るたびに今日来る?って聞いていたように思います。
そしてその都度、困ったような笑い顔を浮かべる母の顔を思い出します。

実際に来たのはもうそんなこともあったよなって忘れた頃にやっと我が家にファミリーコンピュータがやってきました。
初めてのソフトはポパイとマリオブラザーズ。
選択権はありませんでした。

まあ、どちらもゲームウォッチをテレビで出来るようになったようなものでした。
しかしマリオブラザーズは対戦プレイが出来ることが大きなポイントでした。
我が家へ友だちがやってきたのはファミリーコンピュータのお陰かも知れない。
友だちから私を見た時のアビリティに「ゲーム好き」という項目が加わった日でした。

あ、マリオ35周年まで届きませんでした。
これはまた次回に。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
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