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七夕から見る『愛について』

どうも大妖精です。
今日は七夕です。
とてもメジャーな日なのに何をしていいのかわかりにくい日。
何をするのが正解なのだろうか?

笹を飾り、願いを短冊に書いて、素麺を食べる。

これは誰が願いを叶えてくれるのか?
古くは織姫と彦星の昔話にあるという。
まあ、そこら辺のことはいろんなところで紹介されているので興味のある方は調べて読んでみてね。諸説あるらしいよ。

とりあえず愛し合った二人が引き裂かれ、一年に一度会うことが出来る。
そんな日だという。
子どもの頃は「おおーっ!」って感じだった。まあ、「おおーっ!」と声を上げたことはないだろうけども。「へー」っていうか「そうなんだ」って結構好意的に思ってたと思う。

しかし大人になって何を思うか。
そんな遠距離続くのか?とか、そんなに長い間愛し続けられるもんなの?
って思っちゃう。
…薄汚れたねえ。

大人になるとこの「愛」という言葉のアヤフヤさにイライラすることもある。
「愛」と言っておけばとりあえずOKじゃない?ってところがある。
ニュアンスだけであまり追及されていない言葉なのではないだろうか。

有名な話だとは思うが「愛」という概念は日本には明治までなかった。
「LOVE」という言葉が日本に入ってきた時に新たに「愛する」という言葉を作ったというのだ。
夏目漱石が「I LOVE YOU」を「月がキレイですね」と訳したという逸話はそれなりに知られているのではないかと思う。
※それについて解説が面白かったのでリンク貼ります。
http://shiomilp.hateblo.jp/entry/2016/07/08/012959

日本には似たような同じような言葉がたくさんあって、状況などに応じて少しずつ違う言葉を使い分けてきてる。これってとても難しい。
だから例えその使い方が適切でなくても大概の場合は日常でその違いについて指摘されることはなく、受け手が勝手に脳内補正して受け止める。
それが空気を読むとかということになるのだろうけども。

しかし恋愛においては結構具体的な細かいところまで追求されるのではないだろうか。
「愛」がやって来る前、江戸以前では相手への気持ちは「恋」が担ってた。「恋しい」という言葉は「愛してる」よりも気持ちが伝わりやすいと感じるのは私だけだろうか?
だとしたら「愛」などという漠然とした言葉は使ってられないように思う。

織姫と彦星の話に戻すとしたら、やっぱりそこには「愛」なんてものは超越した思いがあるのではないだろうか。
揺らがぬ信頼関係と相手に会いたいと願う気持ち。
そしてそういう相手に出会えた喜び。

人はどうしても得たものに対して油断してしまう。
周囲の人へすごい気遣えても身内には厳しかったりもする。
それは信頼関係にひびが入りかねない。
おそらく、恋愛成就のために好きな人に好きと気持ちを伝える行為を学んでいくように、好きな人を大切にする行為を学んでいく必要があるのだろう。
大事なのは後者なのだけれども、気付いた時にはあとの祭…

だから今日は夜空を見上げて「恋」だの「愛」だの考えて、大事な人を思い、「初心忘るべからず」ということで出会った日なんかを思い浮かべてみて過ごす。そして相手に感謝する。そんな夜になるといいですね。

今夜は夜空は見えますでしょうか。
天気が悪くても皆が夜空を見上げれば思いを重ねられるかも知れませんね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
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