見出し画像

癌になって1ヶ月で治した話 vol.1

36歳の2022年1月7日、癌を告知されました。

まぁ、告知されたというか、医者がはっきりと言いたくないのか、「悪い細胞が見つかった。」って言われて、自ら「癌細胞ですか?」と聞いて確認をしたのが始まりです。
この日はこんなことになるとはつゆ知らず、ノコノコと検査結果を聞きに行った自分は、告知を受けた後、まだ癌になったことを受け入れることが出来ませんでした。告知された後、普通にコンビニで昼飯を購入し、自宅に戻って在宅勤務を普通に始めるのでした。

さて、事の始まりは、会社の人間ドックでした。

2021年10月下旬、人間ドックの胃カメラで胃潰瘍が見つかりました。その時は細胞を採取で検査もしなかったため、胃潰瘍と診断されました。これが発見されるまで、全く症状が無く、自分は胃潰瘍になったんだなとその時にもらった写真と共に自認する努力をしました。胃の痛みも全く無いので、人間ドックに併設されてる医者からもなんとなく胃薬を出してもらい、1ヶ月様子見をしました。

医者からは、「1ヶ月後に再診に来てね」と言われておりましたが、少し遠くの病院だったので、面倒だなと思って帰りました。

一応、会社には人間ドックで胃潰瘍が見つかったことを利用して、「優しくしてね」とか「そこまでストレス与えないでね」っていう話で、胃潰瘍ジョークを振舞っていました。
また、上司からもストレスあるんだなと思われて、気を遣われるという状況でしたが、こちらとしては全く症状が無いので、本当に胃潰瘍なのかと自問自答の日々でした。

しかし、1ヶ月経ち、仕事上での激しいストレスによって、激しく胃が痛くなった時がありました。このタイミングで、やっぱり胃潰瘍の再検診をしなければと決断をして、近くの町医者での診断を行うことに決めました。

12月初旬、町医者に通院。病院では人間ドックの結果を持参して行きました。
「胃が痛くないのか、大便が黒いか」とか、胃潰瘍で良く聞かれるフレーズの問診をされました。医者にはあまりピンと来ていない旨を伝えたところ、すぐに再検査の流れになり、スケジュールを確定されました。
(心の中ではまた検査かよ。金がかかるなって思ってました。)

2021年12月下旬、再度の胃カメラを町医者で行いました。既に胃カメラは人生で4回目ということもあり、僕自身の胃カメラ技術が高いと町医者に褒められたのが印象的でした。その際は、胃潰瘍の細胞を採取して、検査結果は年明けということで2021年は終わりました。

(実は、1回目の胃カメラも、29歳の健康診断の時に病院が間違えてバリウム検査をしたことがきっかけです。その時にピロリ菌と思われる陰影が発見されて、治療する時に経験していました。この時もラッキーでした。)

年末年始は故郷に戻って、ゆっくりしました。
既に胃潰瘍と診断されていたので、お酒を飲まないと心に決めて帰郷していたので、宴会はありませんでした。
1月2日まで私の故郷で過ごし、僕が5日から東京出張、妻が育休ということもあり、家族は妻の故郷で途中下車して、僕は一人暮らしをしていました。この時は、仕事が終わった週末に家族のところに合流して、妻の両親に年始の挨拶に行く予定をしていました。

5日から仕事が始まり、当日は大阪で営業として年始の挨拶回りをして、東京に移動という日程でした。

大阪の挨拶回りの最中、知らないところからの電話がありました。1回目の電話は取れず、暇な時間に折り返しの電話をしてみると、検査をした病院からでした。

「結果が早く出たので、早く来てください」と。この時点でまだ悪い話じゃないと思っている僕は、親切な病院だなと思って、在宅勤務の7日にスケジュールを確約して、のん気に東京出張に出掛けました。
東京では、これまでお世話になっている会社に約1年半ぶりに訪問して、興奮を覚えたことを記憶しています。
東京出張は2日間で終えて、自宅に帰りました。

東京からの帰宅時に新幹線の中で、妻とSNSで週末の帰郷の連絡を取り合っていました。その時に妻が病院のリスケについて心配していたところ、僕はふざけて返していました。この時も別に悪い方向になるとは全く思ってませんでした。

そして、1月7日にノコノコと再検査をした町医者に行って、前述の通り、胃がんの告知を受けました。すぐに町医者と連携している大病院の予約をとり、次の週の12日に再度検査をすることになりました。
この時は、町医者からは詳しいことは教えられず、癌細胞であること、癌のステージは細胞の深さによるので、現時点では分からないことを伝えられました。詳しい再検査ではっきりするのではとのことでした。

こういう流れで、癌の告知をされたのですが、先ほども書いたように、僕としては告知直後、まだ癌になったとは受け入れておらず、どうしたら癌の告知を受け入れられるのかを考えました。

まずは妻に伝え、その週の妻の故郷への訪問を取りやめました。さすがに次の週に再検査を行うのに、コロナにかかっては病院に行けないという理性が働きました。
次に母親に伝えましたが、メールのみだったこともあり、まだ自分でもパッとせずでした。悶々としながら、在宅勤務を続けました。
その時にふと、会社の同僚・上司に伝えたら、どうなるかなと思い、ふざけて仕事のメールのついでに癌になったことを連絡しました。
すぐに上司から電話がかかってきて、「大丈夫なのか」と聞かれ、事実に基づき、再検査次第と伝えました。この時は会社の人に変な迷惑と心配をかけたなと思います。(本当にすんません。)
こういう流れをして、癌であることを人に聞いてもらうことで、自分自身が受け入れようと努力をしました。しかし、まだピンと来てなく、その日は家族もいなかったこともあり、普段のように睡眠をして、一日が終わりました。

次の日、妻の故郷に帰っていた妻と娘たちが帰ってくることになっていました。夕方に戻ってくるということで、夜ご飯や次の日の朝ごはんが無いなと思い、買い出しに向かいました。

すると、その買い出しの途中で、何故か自然と涙が出てきました。

全く癌のことを考えても無いのに、何故か涙が出てくる。

これは何故だと。

自問自答をしながら、涙を流しながら、スーパーマーケットに向かいました。
(外でおっさんが涙流しながら歩いていると今考えてみると、だいぶ恥ずかしい状況でした。)

その際に気づいたのは、既に僕自身は癌を受け入れていて、

「癌」=「死」と認識しているのだと。

今回のような、買い出しみたいな日常が出来なくなる、家族の未来のために行動が出来なくなるんだなと考えると、知らず知らず涙が出るんだなと思いました。

買い出し中は涙を必死に隠し、帰宅後に自分でも信じられないぐらい泣きました。

もちろん、家族が戻る頃には普段通りに戻し、瞳が小さいことも功を奏して、泣いたことはバレずに出来たとは思います。
確認出来てないので、分かりませんが。。。
そして、家族が着いてから強く抱きしめたことは言うまでも無いことです。

そこからは、家族が戻ってきた日から急に胃の痛みや違和感が気になり出したり、上の娘が敏感なのか、僕に対して優しくなったりと、僕の日常の中の違和感を感じながらも12日の再々検査の日を迎えました。

この間、妻と一緒に胃がんの情報をググっていましたが、不安を募らせるので、あんまり見ないようにしていました。ただし、胃がんになった時は、内視鏡での除去(ESD法)か胃の切除、最悪のケースは多臓器転移で抗がん剤治療だということだけは理解していました。

胃がん.002


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?