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今日の70歳#26 わたしとあなたが撮った写真は同じにならない

秋葉原駅近く、神田川沿いにある柳森神社へ行きました。

あっ、ここって、来たことがある!
思い出せるということは、わたし、ボケてない(笑)

でも、いつ来たの?だれと一緒だった?
思い出せない。やっぱりボケの始まりかも…

病的な物忘れでなければ、もの忘れを補うことは可能。メモしておけば大丈夫。でも、やっかいなことに、メモすること自体を忘れるんですけどね…

そんな時、写真を撮ることも有効な手段です。でも、そもそも興味や関心がないものは写真を撮ろうという気が起きないのが困りもの。

話を元に戻しますが、柳森神社の境内にはたくさんのお狸様がいらっしゃいます。

神社の歴史に興味がない私は、ここに狸がいる理由をさして知りたいとは思いません。人を化かすというイメージしかない狸の写真なんて撮りたいとも思いませんでした。というわけで、たぬきの写真は1枚も撮らずじまい。

この記事を書いているうちに気になったので少し調べてみたら、あら、結構面白い由来があったんだとわかった時には、もう後の祭り。

なにを祀っているのかも知らず撮った写真は、自分の記憶にも、ましてや他の人の心にも残ることはないでしょう。

人目につくところになぜ雑巾を置くのかな…
あっ、ハートみたいな模様には何か意味があるのかな…

なんだか面白いなってことで撮るのも、楽しいのでよし!としましょう。

でも、何で?という好奇心を持ちましょう。頭と心の中に知識と経験が増えて写真の引き出しがいっぱいになれば、もっといろんなものが撮れるはず。

ぼーっとしていたら、チコちゃんに叱られるだけでなく、ボケを呼び寄せていることにもなりかねませんしね。

さて、神社向かいの看板建築のボタン店です。

子供の頃に住んでいた小さな家の庭に大きな柳の木がありました。柳は私にとって懐かしい思い出です。この時点では神社の名前が「柳森」だということをすっかり忘れていて、なんでここに柳の木があるのかなと思いながら、ふと昔の風景が蘇えってきて、店と柳を一緒に撮りたくなりました。

写真は、無意識のうちに撮る人のさまざまな思い出までも写し込みます。「しゃしん」の「しん」は(真)ではなく(心)だともいえます。だから、同じ時、同じ場所で撮っても、私とあなたの写真は同じにはならないんですね。

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