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"遊び"こそ人類にとって普遍的なものであり可能性の宝庫である
私たちは知っています、”遊び”こそ普遍的なものであるということ、遊びには国境は境界はありませんからね。
人種も、言語も、性別も、文化も価値観であっても、歴史的な壁であっても、簡単に乗り越えてくれる、それが”遊び”だということは、皆さんもご存知ですよね。遊びがあることで人生が豊かになる、それも皆さん知っていますよね、そう、遊びとはまさしく普遍的なことですよね。
そんな遊びについて、ある番組が教えてくれたこと、それは私たちに更なる希望を与えてくれたこと・・・
「”遊び”は人類にとって可能性の宝庫である!」
この言葉を聞くだけで、なんかワクワクしませんか?遊びは本当に楽しいこと、そんな楽しいことをやっていれば私たちの人生はうまくいく!と思うだけで、私はワクワクドキドキが止まりません。
遊びによって人類は様々な創造物を生み出すだけでなく、目の前に立ちはだかった危機を乗り越える力を与えてくれた、そのきっかけは”遊び”だった。さらに驚くことに、遊びによって人間の脳は鍛えられ、創造性豊かな文化を築き上げることができるということ。
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いまの時代には”遊び”が必要だった
答えがひとつではない世の中、相手をねじ伏せて成果を出そうと目論む者が力をつける世の中、そんな社会で私たちは生きているのですが、なんか生きづらい世の中になったと思いませんか?
コスパとかタイパとか、効率的に生きるためには遊びに時間を割くことすらためらいがちになりませんか?現代人にとって”遊び”は単なるカルチャーのひとつと考え、人生の中で、狭い枠の中でしか遊びというものを捉えていない。お金にならない遊びはやっても損だと考える現代人。
だから生きづらい世の中になったのかなと。
遊び心を持つ余裕を持つことが、私たちにとって普遍的なことなのに、そんなことすら忘れてしまった私たちに、遊びの可能性について提示したNHK番組『ヒューマニエンス 40億年のたくらみ』は画期的だったと私は思っております。
この番組で紹介された”遊びの可能性”を知ることで、明日とあさってにボソッとする内容が、きっと皆さんの心に刺さるのではないかと期待しています。明日とあさってにお伝えするボソッとは・・・
明日のボソッと⇒一度、夢を夢を諦めた方へ
また夢を追いかけましょうよ、遊びなんだから年齢なんて関係ないんだ。
これからの人生、遊びながら夢を追って、人生を楽しみましょう!
あさってのボソッと⇒これから夢を追いかける若者へ
心配しなくてもいいよ、君たちの先輩たちも遊びながらとにかくやってみただけなんだよ。
そんな先輩たちが夢を実現してきたんだから、君たちも真似をするだけで良いんだ、とにかくやってみよう!
「“遊び” それは人類の可能性の宝庫」
それでは、ここからはNHK番組『ヒューマニエンス 40億年のたくらみ』で放送された「“遊び” それは人類の可能性の宝庫」をご紹介していきたいと思います。
【当番組のポイント】
遊びはトライ&エラー
遊びは脳のモデルベースシステムの訓練につながる
”多 対 多”の遊びができるのは人間だけ
遊びによってレジリエンス(回復力、しなやかさ)が高くなる
遊びはトライ&エラー
愛知県立大学 亀井伸孝教授
「遊ぶ力というのは成功するかわからないけど、面白いからやってみるという特徴を持っている。そのため、新しい文化の創造のために、とにかく面白いからやってみる遊び心が強く支えたのではないか。」
「遊びをする中で様々な文化が湧きだしてきた。創造力を目の当たりにした。」
「遊び心を持つということは、無駄でもいいから色々なことをやってみる選択肢をたくさん持てている状態である。それが無理なら別のやり方、別の方法で新しく生きていけばいいじゃないかという余裕を持てる」
遊びはトライアンドエラー、まず試してみて、だめなら他の方法を考える、そんな遊びを通して子供たちは成長していきます。大人にとっては仕事になることを彼らは遊びとして訓練し、その試行錯誤が大人になっての工夫にも反映するのではという。
さらにホモサピエンスはネアンデルタール人よりも遊びの達人だったようですね。ホモサピエンスはネアンデルタール人に比較して石器のバリエーションが多いようです。
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遊びは脳のモデルベースシステムの訓練につながる
遊びが脳を鍛える!
やったことがない遊びをするだけで脳全体が活性化したという研究結果が出ています。
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さらに具体的に遊びと脳の関係を見ていくと、遊びが脳のモデルベースシステム(臨機応変に対応策を考えるシステム)の訓練に繋がっていることが分かりました。例えば旅行中のトラブルの発生などで急遽予定を変更しないといけなくなった場合などに、我々の脳はモデルベースシステムが働いているという。
脳のモデルベースシステム(臨機応変に対応策を考えるシステム)とは
これは2つの戦略を比較検討する場合の仕組みであり、脳の前頭前野内側部でいま現在、行っている戦略が上手く行くかを考える、それと同時に前頭前野外側部では別の戦略を考えている。。そして裏の戦略の方が良いとなると入れ替えて、次にまた新しい戦略を考えるという脳の働きです。
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この脳のモデルベースシステム(臨機応変に対応策を考えるシステム)を鍛えるのが遊びだという。
人間は、目的志向的行動をとる。モデルベースシステムの特徴は目的→戦略手段→オプションの数を増やす。そうすると想定外のことに対応できる。大事なのは失敗しても良い環境にあるかどうか、だから、遊びは失敗を繰り返えせるのでそのトレーニングなる。
”多 対 多”の遊びができるのは人間だけ
”鬼ごっこ”は世界中の子供に共通の遊び。さらにニホンザルでも枝引きずり遊びというサル版の鬼ごっこも行っていることが判明しました。
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つまりサルでも遊びを行っているのですが、例えばチンパンジーの遊びは基本的に1対1であるという。大人になると遊びの代わりに毛づくろいをするようになるが、これも基本は1対1であることが分かっています。
これに対して人間に特徴的なのは”多 対 多”の遊び(チームスポーツのようなもの)があるということがサルとは異なる特徴を持っており、遊びで集団を安定化させる働きが人間にはあるのだという。
遊びによってレジリエンス(回復力、しなやかさ)が高くなる
東京学芸大学の副学長である松田恵示氏は、遊び心がクリエイティビティを生むのに、近年大人の遊びの感性が弱くなっていると感じるとおっしゃっています。
東京学芸大学の副学長である松田恵示氏
「非日常を楽しむという力が高い方が遊びに対する感度が高い。遊びの振れ幅や余地がすごく小さくなっている。危機感は強く持っている。」
「遊ぶということの意味とか精神がとても大切になってきている」
日常生活の中でも遊び心を持つべきと考える理由として、遊びの経験が強い心を育むという報告もあるからです。
遊びの経験の豊富なヒトの方が、困難に遭遇した時の対応力や落ち込みからの回復力(レジリエンス)が高いという報告がある。面白いことを探求する力が、困難の中から楽しさを見出す力につながるのではないかという。
遊ぶというのは常に面白いことはないか?ということをずっと追求していくことになる。
遊びの力は困難な状況でも楽しさを見出す力につながっていく
したがって遊びは不安を緩和したり、困難な場面から回復したり、レジリエンスを高める働きをしてくれるのではないかと思っている。
なぜ私たちは”夢に向かって遊ぶ”のか?
なぜ私たちは”夢に向かって遊ぶ”のか?
この問いに対して愛知県立大学 亀井伸孝教授はこのように語っておりました。
愛知県立大学 亀井伸孝教授
「なぜ人類が世界中に広がっていったのかを考えると、コロコロと文化を変えながら多様な環境に入り込むことができたからだと思います。
だから無駄かも知れないし、食べられないかもしれないけど、でも色々な動植物をとって食べて試してみよう、ちょっと川の向こうに渡ってみようといった、無駄なのかもしれないけど、色々な選択肢を得たことが地球上に反映するヒトの状況を作った。
だから現代社会で生きる私たちはストレスの中で遊ぶことでレジリエンスを高めていこうという考え方は、私たち人類の歴史にフィットする考え方なのではないかと思います。
ただし「問題解決のために遊び心を持たなければいけない」といった目的が先行してしまうと【遊びの定義】※から外れてしまうので、大事なのは「まっしぐらに遊ぼうという気持ちを絶えず持ち続けていくことが結果的にうまくいくこともある。うまくいかないこともある。うまくいかなくてもへこたれずにまた遊ぶ。その繰り返しで個人も生きていける。」
※【遊びの定義(亀井説)】
自由である
何らかの規則がある(時間的にも空間的にも限られている中で。例えばスポーツを考えると分かりやすい)
無報酬で遂行されうる
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そして、「“遊び” それは人類の可能性の宝庫である」という言葉を信じたくなる、そんな想いを持ちたくなるお話を最後にご紹介しましょう。それは元陸上競技選手 為末大さんの”妄想”を聞いたときです・・・
元陸上競技選手 為末大さん
「遊び心は突然変異を起こす力ではないか?
楽しいと思う感情が進化にどう有利だったのか?
遊び心が行動・文化・ヒトの多様性を生み出したのではないか?
地球全体を豊かに彩ってくれるのが遊び心ではないか?」
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