死生観

人生を歩む中で考えたこと、思ったことも記述します。

病気になるたびに恐怖を感じていました。この恐怖は「どうなるのか?「何かされるのか?」「痛いのか?」というものだったと思います。私の家は豊かではなく、どちらかと言えば貧しい方でした。

貧しかったので、とにかく勉強しました。勉強して医者や弁護士になればお金がもらえると思っていた時代です。しかし、その当時は勉強の仕方もよくわからず、がむしゃらに繰り返す勉強しかできませんでした。いわゆる天才タイプではなく秀才タイプです。だんだん、医学部に手が届かないことに気が付きます。その時、医学部とは別の道を考えました。考えたのが、環境関係の学部です。

人を救うか?地球を救うか?そのようなことをよく考えました。その時に私は「私たちは地球に生かされている」という考えに至りました。昔の人は、人間は地球に生かされているという考えすらなく、「人間は何?」という疑問を考え続けていたのだと推測します。理由は、「環境問題」という問題を感じられなかったからだと思っています。

人は生まれた時から死を目指します。一つひとつの心臓の鼓動は、死へのカウントダウンです。しかし、どれくらいカウントダウンが残っているか、寿命がわからないのでわかりません。一つの区切りは、1日だと思っています。

ある人が言った言葉です。
 朝 希望を持って目覚め
 昼 懸命に働き
 夜 感謝と共に眠る
この言葉は私の中で大事しています。

家族を持つと仕事だけでなく、家事、育児、介護が重なり、時間的余裕がなく自分の好きなことができなくなると思います。しかし、自分の時間は絶対に作るべきです。特に1週間に1回とかではなく、1日1回、自分のために時間を作るべきです。育児が終わってから、介護が終わってからでは、どのような状態になっているか分かりません。その時の年齢に応じた人生を豊かにできる自分の時間を是非、満足したいものです。

赤ちゃんは泣きながら産まれ、まわりはニコニコしています。私は死ぬときはニコニコして、まわりが泣いてもらえるくらい、私のまわりの人にも尽くしたいと思います。できれば、私が死ぬときはまわりの人は泣き笑いがいいかな。私は満面の笑みでこの世を去れるように準備します。

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