音楽ストリーミング配信の受動性とポッドキャストの能動性
おはようございます。つちいじりです。
今日は愛してやまない「ポッドキャスト」について書きます。
ストリーミング配信の功罪
今までは耳で聴くものといえば、もっぱら音楽でした。
CD、MD世代の私からすると、音楽がストリーミング配信になったことは革命だと思っています。
最初はスマホがCD/MDプレイヤーになったくらいで、そこまでの需要を感じていませんでした。
ところがほどなくしてApple Music, Amazon Music, Spotify, Youtube Music・・・と次々とストリーミング配信プラットフォームが出てきました。
それがスマホと抜群な相性。
これまで発売日にCD屋に行くこと、TSUTAYAで新作がレンタル開始になる日を心待ちにしていたあの気持ちはどこへやら。
今では聴き放題のサブスクが一般化して、
アーティストの作品を個別に買うということすらもめずらしくなりました。
さらにはAIで好みに近い作品やアーティストがリコメンドされ、知らなかった音楽に労せずたどり着ける便利な時代です。
これまでの友だちからおすすめされて、CD屋でおすすめされて、試し聴きして自分の新たな好みを発掘するという能動的なプロセスもどこへやら。
アーティストの個性や作品へのリスペクトを考えると、この弛緩した音楽との向き合い方は大変に失礼なものだと後ろめたさがあります。
受動的で大量な情報インプットは今後人間にどのような影響を与えるか考えると少しぞっとします。
ただ、便利さという価値観はそれらの「不」を埋めてなおお釣りがくるものだとサブスクが自動更新されていることにすら気づかない自分に気づく。
ポッドキャストはどこからやってきた?
さて、そんな中気づいたらそこにいたというのが私にとっての「ポッドキャスト」の第一印象でした。
Apple MusicもSpotifyも音楽を聴くためのものだという頭しかない中で、いつからPodcastというものがあったのかも分からない。
しかもほとんどの場合、それは音楽と違って無料です。
ラジオのような刹那性やニュース要素はなく、アーカイブ性があって聴き手を置き去りにしないあたたかさがそこにはあります。
それぞれの番組に個性があって、何より次の配信をいまかいまかと待つというあの頃のCDのような感覚がありました。
それこそが話し手と聴き手の言葉のない対話ではないかとも思います。
そのようなノスタルジーが私をポッドキャストに引き込んだのかもしれません。
つちいじり的おすすめポッドキャスト4選
今では音楽よりもポッドキャストを聴いている時間の方が長いかもしれません。
そんな私が特におすすめしたいポッドキャストは
歴史を面白く学ぶコテンラジオ
ノウカノタネtheWorld
真夜中の読書会~おしゃべりな図書室~
ゆる言語学ラジオ
はい、いずれも説明不要なポッドキャスト業界のスーパースター番組たちです。
しかし、どの番組もながら聴きするのはもったいない、良質なコンテンツで、これがリベラルアーツなのだと感じさせます。
耳だけで創る応援経済
ポッドキャスターは相当の苦労を重ねながら毎回番組を作っていることを感じさせます。
特に最初の頃と比べるとその進化を感じられ、応援したいという気持ちがどんどんわいてきます。
そこには話し手と聴き手の番組内外でのコミュニケーションも多く影響しているだろう。
聴き手からの問いかけが番組内で取り上げられたり、聴き手の興味が一つ音コンテンツとなったり、そこには聴き手と話し手の積極的な対話があります。
これらがなぜ無料なのか到底理解ができません。
実感価値と市場価値が不づり合いなのだろう。
しかしこれらのポッドキャスターたちは番組の市場価値での評価よりも純粋なコンテンツに対しての評価を求めているように感じます。
それを能動的に評価し還元する正のサイクルともいうべき応援経済で成り立っていることがほとんどです。
そういう応援経済がもっと広がればよいと思います。
最後に、ポッドキャストを聴く際の心構えを提案したいです。
応援したいという気持ちをもって、倍速禁止で耳に全集中!
ではまた。
都会で実践できる農ライフ、読書、ドイツ語、家族などについて「なぜかちょっと気になる」駄文・散文を書いています。お読みいただき、あなたの中に新しい何かが芽生えたら、その芽に水をやるつもりでスキ、コメント、ほんの少しのサポートいただけると嬉しいです。