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男性なりの愛情は深いし興味深い/230506


親友は保留の短所を指摘する時、最も輝いている。

「だからぁ、そーゆーとこなんだって、嫌われるのはぁ!」

先日、親友が呆れたように苛立って私に言った。
しかもこれは最近すごくよく言われる。
そもそもの話は親友の趣味のことで「これは困るなぁ」という話をされたことから始まった。

「それはやだねー困るなぁ」

と私も言って、そして続けて「こうしたら良いんじゃない?」と言ったのが運の尽き。

「…保留さぁ、今みたいな話って他の女の子にもする?」

「…するよ、女の子の友達いないけどすると思うよ」

「いやそこなんだよ、そこ。
 問題解決なんて求めてないの、大変だねー、やだねー、って言ってりゃいいんだよ。
 その時の気分に寄り添うっつうかさぁ。
 大体保留はさぁ…」

この人は私の短所を指摘する時、水を得た魚なんてもんじゃない活きの良さを発揮する。
もう「鬼の首獲ったらぁ」の勢いで、いつもよりも遥かに滑舌よく、大きな声で、抑揚のある声色で。

しばし親友の独演会(テーマは毎度、保留の短所に限る)ののち、〆に入ったようだ。
こういう時は静かに、だけど「聞いてるよ」アピールの相槌が良いと最近わかったので実践している。
適当だとは気づかれていないし、内容は聞いている。

今気づいたけど、この話の聴き方は、おそらく男性が女性の話を聴く時のものだ。
意見もしない、共感するけど適当な相槌はしてはいけない。
男性からこのアドバイスはよく聞いてきた。

ロジカルな男友達は私の問いにこう答えた。

「結論なんか求めてねぇんだからとにかく興味ないとかどうでもいい返事はするな。
 聴いてるよっていう姿勢が大事。
 だけどアドバイスもだめ。
 共感することが大切だから。
 めんどくさくないかって?
 めんどくせーよ、めちゃくちゃめんどくせーよ。
 でも好きだから良いんだよ」

こういう時の男性はすごく強くて愛情深いと感じる。
なんだかグッときてしまった。
女性とは違う愛情表現で、受動的だけど見守ったり包んだりする姿勢が、男性の愛情表現のひとつなのかもしれない。

エンジンを最高にブーストし始めた親友は止まらず、我のあまりの無理解ぶりを思い知らされる。

「だからつまりな、俺の「困るなぁ」で、保留の「うわー」があったとしたら、そのターンを最低あと2.3回はやりたいわけ。
 別にその先なんて自分でどーにかするから。
 そしたら次に「やっぱダメだったよ」で「やだー大変だったねー!」で盛り上がるから。
 まずそこだよ」

言いたいことはよくわかった。
そしてこうでありながら論理的なので論理上は納得もできた。
実際こうして忠告してくれる人はいないし、最近の親友は「こいつを(女の)社会でどーにかしないと」という使命感すら感じるので聞かなくてはならない。

本当にタメになるし、「はぁなるほど〜」となるし、中々指摘しづらい私のそこの部分を言ってくれるのはありがたい。
何よりも、私のためなのだ。
それもこれも、我々が築き上げた信頼関係があるからだ、と、親友が先日言っていた。

確かに今回もすごく勉強になった。
しかし、思ったことは言いたい。
一連の話を聞いて私はやっと本心を答えた。

「…うん…ね、そうね。
 その通りだと思う。
 そうやっていかないとね。
 …だけどさ……すまん、めんどくせーわ」

「俺はそこが女だからそれがいい」

「いや、めんどくせーわ」

「保留はそこが男だから」

たとえば親友の困りごとがあって、大変だねー、のラリーが何回か続いたところでそれは解決しない。
だけど親友曰く、解決よりも「困るという感情の共感/共有」が必要ということなのだろう。

わからない。

私も共有/共感はとても欲しい。
それが無いと人と関わる意味は無いし。
だけどおそらく私が求めているのは「価値観の共有/共感」で「感情の共有/共感」ではないみたいだ。

悲しい時は一人で泣きたいし、
怒っている時も基本は一人だ。
誰か特定の個人に伝えたいということも基本は無い。
だからこうして文章を書いているし。

私が感情を蔑ろにしがちなのはおそらくここなのだろう。
ただ、最近は意識はしていて、人間は正論だけでは生きていけないこともよくわかっているつもりだ。
だから困りごとがあった、そうしたらまず感情の共感/共有からの、価値観の共有、のような流れにしてきてはいた。

ただその割合が感情1:価値観9くらいで、やはり解決してしまう部分は変わらないらしい。
しかもその感情の共感能力というのは基本的に女性(脳)にしか通用もしないわけで。

1を伝えて10が伝わって、更にその背景を過去も含めて立体的に見ているような、そんな感覚を共感/共有と呼んで、その深度が進めば進むほど、親密になれる気がする。
価値観の共有の中身はこんな感じだろう。

どちらにせよ、親友も恋人も、私の人嫌いに手を焼いている。
だから「こいつをどうにかしないと」と思うのかもしれない。

親友は友達なのでまだ気を遣って反応しているけど、これが恋人となるとそれまでしっかり話していても最終的には「いや!いや!」「ほんとにいや!」「私の気持ちがわかるくせに!」「もういい!」という感情の爆発になりがちだ。
突然IQが3になる。

私は私で、どうしたら人を好きになれるか、本当は理由がわかっている。
いつものように身も蓋もない結論だけれど、本当はわかっているのだ。

それを伝えるとみんな「まあそりゃそうだけどさぁ」となるので、やはり身も蓋もないのだろう。

誰でも好き、は、みんなどうでもいい、の意味でもある。

高校の同級生は呆れながらこう伝えた。

「ま、そのうちまた人が好きになるよ笑」

なんとも女性らしい言葉で、深く納得した。
しかし今のところ、その予定はまだ無い。







その会話が一番楽なのだ。

5を伝えて1以下しか伝わらないと説明しなくてはならない。
私はそれが死ぬほどめんどくさい。

前に、ふと恋人に聞いた。
聞いてみたかったからだ。

「ねえ、説明が仕事でしょ?
 全然伝わらないでしょ?
 めんどくさくないの?
 やってらんないってなんないの?」

ちょっと驚いて、呆れながら笑っていた。

「それが仕事だからね笑」



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