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思い描いた自分にはなれない/230522


美大を出ている、と伝えた時の周りの反応にまだ慣れない。

多分一生慣れない。
私は私が思い描く美大生にはなれなかったから。

19歳で病気になって、まともに勉強もできなかったし、留年もして、卒業するのが精一杯のことだった。
大多数の人ができる、いわゆる「普通のこと」ができなかったし、今も私は「普通のことができないこと」に悩んでもいる。

デッサンも思い描いたようにできない。
絵も、映像も、写真も、文章も、ただの器用貧乏なのが私だ。
大体のところで大体できてしまうのでそれに飽きてしまう。
本当にここがダメなのだ。

私があれこれ考えて作って勉強するのは「自分に自信がないから」しかない。
自分はたかが知れているから、とにかくできることをしないと「ちゃんと普通」になれないと思ってきた。
「普通に見えない」とも。

どうなるかなんていっこもわかんないけど、とにかく素振りだけをしてきた人生で、元々何もないのに、素振りすらできないならただただ怠惰なだけだ、と。
スタート地点から遅れているなら、せめてスタート地点に立てるようにしないと、という焦燥感がいつもあった。

才能は与えられたものだけど、努力はできる。
努力も才能のひとつだし、才能だけで乗り切るのも難しいといつも思う。
才能を持ちつつ、努力もできることが一番すごいと思っている。

そういうわけで私は野球少年よろしく、素振りしかできなかった。
働けない私はそうやって焦燥感を埋めるしかなかったのだ。

なんだかわからないし何になるかなんてわからない、自分が未来に生きているかどうかすらわからないけど、今怠けたら私のことだから言い訳にしてしまうし激しく後悔する。
そんな安易なことはしたくなかった。
「しょうがないよ」なんて言われたら死にたくなる。
だから、できるときに家でやれることをやる、というのが癖になっている。
もちろん生まれ持った特性も大きいとは思う。

そうやって生きてきて、気がつくと7割くらいの作りかけの中くらいのパズルがたくさんあるような気分になってきた。
一つの立派なパズルは作れなかったけど、悪くはない。
そもそも38歳から社会人になってとりあえずここまで来れたのは安心しているし、自負にもなっている。

単純に「何か作ることは楽しい」ということを突き詰めたい。
難しいからこそそれを忘れたくない。

高校三年生の文化祭が終わった時に「こんな毎日を過ごしたい」と思ったあの気持ちをできるだけ忘れないでいたいと思う。

思い描いた自分になれてしまったら、どこか私はつまらないんだと思う。
アキレスと亀のように、永遠に追いつかない、思いつかないことを求めるのが私なんだろう。

ポートフォリオの話を書く予定だったのに変わってしまった。
ありがち。

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