『怪物』是枝裕和 | 怪物なんかいないのに、僕らは怪物を見てしまう。

職場の女の子に勧められて観た。お盆で暇だから、『万引き家族』と『第三の殺人』を観てから観た。良かった。
全編通じての主人公は小学5年生のみなと君。なんだけど、母親目線。担任目線。校長目線。みなとくん目線で、パートが分かれてる。
母親目線の第一部では、みなと君が狂っていくプロセスと、学校対応の不条理・不気味さが伝わってくる。マニュアル通りの対応しかしない校長。常識に欠け、暴力や暴言をして、反省の色がない担任。という風にみえる。
転じて担任目線の第二部では、クラスで起こる不可解な出来事と、関連する生徒星川君の不気味さが演出される。担任はちょっとおかしいけど意外と生徒想いのマトモなやつだってことがわかる。

…って感じで、パートが移るごとに、何を信じていいか分からなくなる。みなと君が怪物になってしまうようにみえたり、担任が怪物のようにみえたり、校長が怪物のようにみえたり、星川君が怪物のようにみえたり。
普段、僕らが何かを判断する時、いかに限られた情報で判断してしまっているかを反省させられる。知らなかった情報が出てくるたび、僕らの判断は修正されて、悪者は誰なのかという結論がどんどん更新される。
そんな不確かな印象でのみ、僕らは判断してしまっているんだなと思う。でも同時に、色んなことをこんなに複数視点的に検討して判断するなんて無理だよなとも思う。
全編見ると、それぞれの行動には一定の理屈があって、そうなるのもわからなくはないよね、という感覚になる。
物語の終盤、校長とみなと君の会話の中で、母親の本当に何気ない一言でみなと君が傷ついていたことが明かされる。でも、旦那を失ったシングルマザーが息子に"普通の"家族を持ってほしいと願うことを、僕には責められない。

何か結論が示される映画じゃない。色んな人がいて、色んな見方があって、ある見方を取ったときには怪物が現れる。でも、本当はどこにも怪物はいない。
僕らが怪物を見てしまった時、本当は怪物なんかいないんじゃないかと立ち止まること。大げさに言えば、それがこの映画がやりたかったことだろうと思う。そしてそれは、とても上手くいってるとおもう。

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