遠野遥『浮遊』|ゲームと現実

小説内ゲームの登場人物YUKIと、ゲームをプレイする女子高生ふうかの話。
ゲーム内の人生と、現実の人生と、何がどう違うの?
小説に描かれることでのみ存在する(小説の登場人物である)ふうか。プレイヤーがゲームをしている時だけ覚醒する(ゲーム登場人物である)YUKI。
「ひょっとしたら、自分だって、誰かにプレイされてるだけかもしれない。」とまで書くと大げさなんだけど、ゲーム内人物と小説内人物の"存在の不確かさ"が高いから、この小説の中で何が現実で何が現実じゃないのか分からなくなる。
ふうかの現実と、YUKIのゲーム内容をリンクさせてる。
YUKIを守る黒田が悪霊になるとともに、ふうかを保護する碧が仕事でトラブルに巻き込まれる。
ふうかが病院/東京タワーに行くタイミングでYUKIも同じ場所に行く。
YUKIが自分が幽霊になった原因を知ったタイミングで、唐突にふうかを描く小説が終わるのもリンクさせたことだと思う。ゲームの終わりと小説の終わりを繋げている。でもだからどうしたという話でもある。
この小説から何か教訓を得たり、現実に役に立つ何かを得るのは難しいと思うけど、現実だけでは得難い感覚を持たせてくれる作品だった。

小説内容としての刺激や、登場人物への違和感は『破局』や『教育』の方が強いから、ちょっと物足りない感じがした。でも"人生から現実感がなくなってきている"みたいな感覚を、直接的にではなく、小説で、他にどう表現できるのか。
テーマや表現の過激さ・強さに頼らずに、テーマを曖昧にしたまま小説を書くことに挑戦したのかなぁと思ったわ。しらんけど。
何れにせよ、遠野遥さんの小説は好きだから、これからも出たら読みます 


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