『街とその不確かな壁』を読んで何を感じたか。

評論は評論として意味がある。自分だけでは気付けなかった過去作とのつながりや、著者が別の場所で語っていた言葉を踏まえた解釈なんかを教えてくれるし、その作品が”一般的に”持つ意味を教えてくれる。ホンマにありがたいことやわ。
でも、それはワイの人生とはほとんど関係ないんよね。というそのことを教えてくれたのは、村上春樹だった気がするわ。他人がどんなに言葉を尽くして村上春樹について語っていても、自分が村上春樹小説を読んで感じた心地よさには届かないし、自分が小説を読みながら思い返したことには及ばないやで。

あらすじはこう。ネタバレといえばネタバレなので、嫌な人は読み飛ばしてください。
1部
”壁に囲まれた街”の中で暮らす私と、現実の世界で暮らす私の話が交互の章立てで、緩やかにつながりながら進行する。
【現実】サイドの話では、主人公(男)が高校生の時に運命の人に会ったけど、運命の人は何も言わずにどっかに行っちゃった。運命の人とは、”壁に囲まれた街”の作り話をして戯れてたことが明かされる。
【壁街】サイドの話では、主人公が運命の人と同じ姿の女性とともに、”夢読み”の仕事をする日常が描かれ、その生活に倦み、壁街から決死の覚悟で脱出するところまで描かれる。
2部・3部
主人公は運命の人のことを引きずって、恋愛はするけど結婚はしないまま40歳になった。サラリーマンしてたけど、えいやって仕事を辞めて地方都市の図書館長に転職する。
前図書館長の子易さんの指導の元、図書館長としての仕事をこなしながら、近くのカフェオーナーの女性と仲良くなる。図書館に通うサヴァン症候群の少年とも親交を温める。
実は死者だった子易さんの案内に導かれ、運命の人に会えるのではないかという期待を抱きつつ”壁に囲まれた街”に行き、そこから帰ってくる話。

書いといてなんだけど、あらすじはどうでもいいんよ。
この小説(村上春樹の小説)を読んでいると、亡くなった父と上手く関係を築けなかったことや、体調を崩して休職していた時のこと。今の自分が置かれている状況。色んなことを思い出す。
具体的なエピソードとしては、ほとんど小説に描かれていることと関係ないのに。深い井戸とか、決定的な喪失とか、今回の小説で言えば”影”、”夢読み”とか。そういう抽象的な記述を通じて、自分の個人的な体験のことを思い出す。
昔は、村上春樹の小説を読むと、現実に上手く馴染めない感じを引きずっちゃうところがあったように記憶している。しばらくは、心ここにあらずみたいな感じでバイトしたり、授業をぼんやり聞いたりしてた。
でも今は、現実で頑張らなきゃな!という気持ちを抱くようになった。これは小説が変わったからなのか、読み手としての自分が変わったからなのかはよく分からない。どちらかと言えば、自分が変わったんじゃないかなという気がしている。

自分にとって大切だったこと/大切なことをこんなにも思い出させる小説は他にない。それが文体や文章に宿った力なのか、僕が村上春樹をそう読もうとしているからそうなのか(恐らくそのどちらでもある)は分からない。
僕にとっての村上春樹は、僕が読んだ時に思い出したことで語られるべきだし、意識的/無意識的にそう思ってるひとがたくさんいるから、村上春樹が国民的作家になっているんじゃないかなと思う。

シンプルに煮詰めた感想はこちら。
ここではないどこかの方が、自分には合っているのかもしれない。でも、僕には現実で与えられている役割(2児の父)があって、それはとても尊い役割だ(”影”かもしれないけど)。ここではないどこかに思いを馳せつつ、自分の現実を頑張ります。

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