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「いま目の前にある0メートルを愛する」幸せ

#0メートルの旅 #岡田悠 #ダイヤモンド社 #書評

「0メートルの旅」

本書は「旅」をテーマにしているが、いわゆる「旅行記」ものとは一線を画している。

一般に、「旅行記」と言われるものは、「ある旅」の想い出が一話完結の形で作られ、それが集められて一冊の本となっている場合が少なくない。

つまり、そうした本はどこから読んでも良いし、どこで終わっても構わない、というような構成と必然的になりがちだ。

ところが、本書は、「一冊全てを通しで読む」なかでしか味わえないというエッセンスで満ちた、「ひとつの大きな(旅の)物語」なのである。

各章には、それぞれ確かに魅惑的な旅先の様子が活写されるのだが、それらはひとつの規則――<遠いところから近くの場所へという距離のルール>、に従って収斂していくようにしつらえられている。

それは、遠くへ〝行った〟旅の記録から、だんだんと様相を変えて、身の回りでの小さな旅や人生の旅、歴史や時間の旅といったものへと置き換わっていく。

筆者である岡田悠氏は、旅にルールをひとつ入れてみると思ってもみなかった世界が〝見えてくる〟と、そんな工夫が施されることによる視点の解放について、本文中で繰り返し触れているが、本書全体の作りにおいてもそれが見事に適用されていることが窺えるのだ。

どうやら、子ども時代の道草体験に根ざしたものであるらしいから、「道くさ博士」の自分としては何やら嬉しくなる。

たとえば、横断歩道のある道を歩く時に、「今日は白線を踏み外したら死ぬ日」、というルールをひとつ加えるだけで、途端に目の前のいつものなんてことのない光景が、アドベンチャーゲームの世界のように新しく、ハラハラドキドキとした世界へとつくりかえられていく

道草を原体験とした〝違う世界への扉〟のくぐり方を、著者は本書において様々な角度から模索し、その向こうに見え隠れする輝きを掴もうとしている。

すると、遠くへ行くことこそが旅だとそれまで思っていたことが、どうやらちょっと違うのではないかというようにその考えが変化してきたと言う。

「そもそも旅とはなんだろう」というそんな疑問こそが、そのまま本書のメインテーマとなっている。

その思考の足跡が、ひとつのルールを基軸として、具体的な遠くの世界へ行った旅そのままの描写から、もっと身の回りの手に届く範囲の環境や、自分自身の人生で手にしてきた経験といった、必ずしも〝遠く〟にあるわけではないところに、あえて「新しい景色を創っていく」ことに挑戦する表現へと深化していくから面白い。

行き着いた果てに、著者は次のように考えを結ぶ。

旅とは、そういう定まった日常を引き剥がして、どこか違う瞬間へと自分を連れていくこと。そしてより鮮明になった日常へと、また回帰していくことだ。p.281」

この一文から、僧侶の僕は強く仏教的な香りを嗅ぎとった。

このコロナ禍にもかかわらずわざわざ旅の本が、旅に行けない世の中になっているというのに……刊行された!、ということとも、それは無関係ではないだろう。

人生において「旅」を「必要不可欠なもの」と位置づける著者が、旅にでることが出来なくなった現状を受け入れていく「作法」こそが、本書という一冊になって顕れている気がするのである。

自力ではどうにもならないことを、他からの縁として、つまり「他力」のご縁としてそのままに受け入れていくことを、仏教では自然と成す。

どこか遠くへ行けなくなったとしても、いやそんな「距離」などから離れざるを得ない境遇に陥ったからこそ、そこを受け入れることで得られるものある。

つまり、0メートル地点――自宅内においてさえもまた喜びを創り出せるという、逆転の発想を示し実践したものが本書「0メートルの旅」なのである。

著者の岡田悠氏は、1988年生の32歳である。少々おこがましいかもしれないが、しかし「自力」では〝どうにもならないこと〟への経験が蓄積されつつある年代なのではなかろうか、とも思うのだ。

どうにもならない心の叫びみたいなフツフツとしたマグマが、初の単著となって世に生ずることになったように思えて仕方がない。

手前味噌で恐縮だが、僕の初めての単著にもそんなようなものが多分にこもっていたように記憶している。

岡田悠さんにその面白さに気づいてもらい、呟かれたことで、絶版状態からの復刊そして重版となった、あの「子どもの道くさ」(東信堂)がそれである。


そこでは実は裏テーマが設定されていた。「人生は無駄を省きゴールまでの最短距離を一目散に突き進むことが最善」とされがちな世の風潮に対しての!

「本当にそれが幸せに繋がる道なのか? もしかして、回り道や道草のなかにこそ本物の幸せはあるのではないか」という問題意識からであった。今回の岡田さんと同じような年代の頃に手がけた研究をまとめたものだった。

それは十四年もの昔に刊行されたもので既に絶版状態になっていた本なのに、不思議な縁で僕と岡田さんを、時を超えて出遭わせてくれた。

「0メートルの旅」でいうところの「偶然の巡り合いに、心奪われた瞬間」を、僕は頂いた気分なのである。

「0メートルの旅」の担当編集者の今野良介氏が、下記の記事において、「子どもの道くさ」との偶然の交錯について触れてくださっている。


とまれ、言うまでもなく、私たちは日々を旅している。「人生」というそいつを、どう存分に美味しく味わうか。その味わい方の作法は、本書を最後まで読み終えた読者にはもう十分に身についていることだろう。

著者が最も伝えたかった一文をきっと受け取っているだろうから。

どこへ行こうとも、予定も目的も固定概念もすべて吹っ飛ばして、いま目の前にある0メートルを愛すること。p.285」

きっと、幸せをもたらす旅とは身近なところーー0メートル地点に、いくらでもあるのだ!

※※ 本書はぜひ紙版で読んでほしい一冊だ。 弾幕が飛び交う装丁にまずぶっ飛び、ページをめくるごとに変化していく紙の質に「コストかかってんな」とビビり、いよいよラスト付近――つまり0メートル地点に近づくほどに、印刷の文字が濃くなるという手の込みように、誰しも驚きを覚えることだろう。考え抜かれた余白や行間とそれに呼応するように奏でられる文章のリズム感のよさや、紙面の空間構成により一層引き立てられる洒脱な表現などのすべてを、ぜひ五感で味わう旅にでていただきたい。


【評者】水月昭道(みづき しょうどう)。人間環境心理学者。博士(人間環境学 九州大学)。西本願寺系列寺院住職。「子どもの道くさ」研究本が14年の刻を経て2020年夏にバズる。著書に「高学歴ワーキングプア」シリーズ(光文社新書)、「子どもの道くさ」(東信堂)、「お寺さん崩壊」(新潮新書)、「他力本願のすすめ」(朝日新書)他。「月刊住職」連載。




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