「高学歴ワーキングプア」 ——泣き笑い
さて、さっそく。〝僕〟は名を『「高学歴ワーキングプア」からの脱出』、と申します。コロナ禍のなか、2020年春に出た史上初の緊急事態宣言下で、都内旗艦店などが軒並み営業自粛のなかに刊行された、崖っぷちな一冊です。
世の中「限界○○だの底辺○○」なんて言葉で溢れていますね。認めたくはありませんが……僕も正真正銘そのど真ん中のひとりなようであります。
コロナは第六波を超えてカメハメ波♪(ぴえんを超えて……にかけて)と、もはやいつになったら終息するのか、ちょっと訳わからないわけで、もはや〝バカ売れしたい〟なんて当初の夢なども自然に醒めてしまいました。
売れたなら、車の修理代にするか(なにせ10年16万キロ。どこもかしこもガタピシで…)、などという淡い期待なども今や完全に潰えたところです。
欲から離れたところで願うは、本心から「世のなか安穏なれ!」だぞ!
というわけで、これからは、世の中に少しでも明るい笑顔を取り戻してもらうべく、僕は売れることは潔く諦め……諦め……(号泣)……、まっ、しょうがないので、などと言ったら怒られるかもしれませんが、どうせなら僕にしか出来ないまさに僕だけの笑い話をここに皆さまに披露していこうと腹を決めたわけです。
最初に自己紹介をしておくと、〝僕〟こと——「『高学歴ワーキングプア』からの脱出」——は、こう見えてもシリーズ本なので、無論のことファミリーがいます。気分はゴッドファーザーなんであります。それではまず、僕の〝家族〟から紹介しましょう。
まずは、長兄の「ラオウ」です。もとい、『高学歴ワーキングプア——「フリーター生産工場」としての大学院』、という超問題作にして巨大なる壁、覇王なんであります。
そして、次兄がジャギ……、もとい『ホームレス博士——派遣村・ブラック企業化する大学院』という、これまた名前さながら凶悪さ丸出しの外道な兄貴です。
従兄弟に、『高学歴女子の貧困——女子は学歴で「幸せ」になれるか」、という、こちらはただひたすら怖くて〝痛い〟だけの姉ちゃんもいます。
あともう1人、リーサル・ウェポンとして、はとこの兄さんにあたる『子どもの道くさ』(東信堂)という、こちらは唯一の品行方正な親戚となります。
どうでしょう? 豪華ラインナップでございましょう⁈
僕は、こんな濃いファミリーに、いつもどつかれたりイジられたりして揉まれているのですが、それにしてもこの度は特に酷い目に遭わされているわけです。
というのも、僕が……僕が……兄さん達のように売れないもんだから……💧
《だって、緊急事態宣言で書店さんが閉まってるんだよ。どうしようもないよ……》
なのに……、
それみたことか、というように、「お前ごときがベストセラー入りを夢見るなんざ十年早いわ」と、刊行後間もなくしてさっそく満面の笑みで嫌みを言ってきたのが、従兄弟のど腐れ姉さん↓でした。
「このハーゲー」と、もう随分前に流行った言葉で僕をなぶるんです。僕としては、姉さん「ちょっと〝痛い〟んですけど」という気持ちなんですが。それがうっかり表情にでてしまったのでしょう……。
いきなり、「あんたその生意気な顔はなんだよ」と、頭をバチンとはたかれる始末です。
凄く悔しくて、僕は、あろうことか、つい反射的に切り返してしまいました。
「あの、僕は一応ふさふさなんですけど」
その瞬間でした。例の年末恒例「絶対に笑ってはいけない……」謹製のビニールバットで僕は鬼のようにはたかれたのです。
《バシッ、バチン、痛ッ、うわっ、ひ〜》
「てめえ、生意気に口答えかよ。おい、売れてから言えよ」って。ほっぺまでつねり上げられてしまい。
実際そうなんですよね……。そこのところを突かれるとマジで辛いんです。だって、この無茶苦茶出鱈目な姉さんですら、一応は三刷もいってるんですよ。
「一応ってどういうことだ、おらぁ💢」
——ひいぃ。どうして僕の心の中の叫びが姉さんに聞こえるんだよ💦
「てめぇはよう、おうおう……何様のつもりなんじゃ、おりゃぁ <バコン♪>」
一体、僕はその日、この鬼畜な姉さんに何発尻バットを浴びたかわかりません。
***
這々の体で逃げ出した翌朝、僕はジャギ兄さんにこのことを訴えてみました。というのも、二人の仲はかねてより激悪なのです。僕の頭の中には、ここは毒をもって毒を制すだな、と自分で言うのもなんですが天才的な策略があったのです。ぐふふ。
そしたら運悪く何か考え事をしている最中だったのか、ジャギ兄さんは僕の話を左から右に聞き流して、「おい、俺の名前を言ってみろ」などと、突如意味不明な言葉をなげてきました。
僕は当たり前に、「兄さんはホームレス博士だ」と即レスしました。
その途端、僕の鳩尾にとんでもない勢いで鉄拳が飛んできました。昼間食べた長浜ラーメンが一気に逆流してきます。まさに正真正銘の緊急事態宣言です。僕はそれを「もったいない、絶対に吐くものか」と、必死のパッチで飲み込みます。ちょっと酸っぱいのが辛いところですが……
一体何が悪かったのか僕にはどうにもさっぱりわかりません。だけど、一つだけ悟ったことは、世の中とは、本当のことを決して言ってはいけないところなのだな、ということでしょうか。
僕はこの兄にいま逆らうのはきっと得策じゃないと瞬時に計算して、このことは「きっと長兄に告げ口して懲らしめてやるべし」、とその瞬間を想像すると狂おしくなるほどの計画を温め直しました。
そんな僕の胸の内をまるで見透かすように、ジャギのバカ兄貴がまたクソくだらない、いや恐るべき洞察に富んだ質問を僕にぶつけてきました。
「おい、まさかラオウの兄貴にチクるつもりじゃないよな?」
<………………>
僕は、もげるほど左右にぶんぶんと首を振りました。
「じゃ、いい」
しかしホッとしたのも束の間、「最近学んだ秘拳をお前に見せてやろう」と、ジャギは僕にくるりと背中を向けると、そのままいきなり華麗なる宙返りをみせたのです。この兄の超お得意な——要は人を後ろから襲うド腐れ拳なんですが、そいつを肩甲骨のあたりに叩き込まれたのであります。
世間では、「南斗水鳥拳」と絶賛されているはずの美しい技なハズでした。しかし、それは次兄がつかった瞬間、どす黒く汚れたものに成り下がりました。次兄は人が賞賛されているのを素直に褒めることができない性分なのです。
それどころか、己の唯一といってもよいパクリの天才的才能を発揮して、すぐに真似て自分のものにしてしまいます。今回もすぐに他人の必殺技を完コピしたようです。オリジナルは「レイ」というお人のものなんですが……。
どうだ、〝俺の技〟は、と側で痛みに呻く僕の様子をまんざらでもない様子で眺め「レイを超えたな、ウハハ」と、馬鹿面まで晒して高笑いするのです。
ふと、奴の顔がこちらを向きました。嫌な予感……。
「俺様の名を言ってみろ」
「一瞬の躊躇も許さないからな、おいわかってるよな💢」という圧のこもったその言葉に、僕は咄嗟に渾身の力を込めて叫びました。
「兄さんはホームレス博士だ〜〜」
その後の記憶はしばらくありません。
***
数日後、僕は全てを長兄に訴えました。
「酷いんだよ、ジャギ兄さんは……」
「いや、それはもしかしてお前のことを心配しているのかもしれないな」と、ラオウ兄さんの優しい目が向きました。
でも、僕にはそうは思えません。そんな思いをぶつけると、「ジャギはな、この世の裏に精通しているんだ。売れないとどういうことになるか。たとえ一度は売れたとしても、その後に売れなかったらどれほど冷たい仕打ちにあうか、そういう一切のことをわかっているから、お前に辛くあたるんだ」と、穏やかな声で長兄は僕を諭したのです。
ところで……、と兄さんが急に話題を変えました。「お前な、編集者さんにどっかに連れてってもらったか?」
その意味は、食事とかでうんと良い店に連れていってもらったか? ということだろうなとわかったので、「うん、九州から上京して事前打ち合わせした時に、糖質制限のオーダー・メニューを創ってくれる エピキュール にね」と答えると、兄さんの顔がさっと曇りました。
馬鹿野郎、と。その響きの強さに反して、静かな、でもそれでいてとても重苦しい声色を兄さんは漏らしました。
「その素晴らしいレストランのことは俺も知っている。だけどな、いま俺が聞いているのは、刊行後のことなんだ」
僕は、無邪気に「あ、それなら、まだないよ」と軽い調子で返しました。
長兄が、やはり、といういうように深く嘆息しました。
「それはな、まだ……じゃない。いいか、永遠に……だ」
胸の鼓動が急に激しくなります。
兄からの次の台詞をジッと待っていると、
「お前な、このまま重版がかからなかったら……」兄はそこまで言うと喉を詰まらせ、「お……俺はな、お前とは兄弟の縁を切る」と一気に言葉を吐いたのでした。
兄は怜悧な頭脳をもっていますが、その性格もそれに似てどこか冷たさを感じさせる人でした。要は、できの悪い兄弟などいらないという、絶縁宣言なのです。
——このままだと、僕はどうなってしまうんだろう……
帰路、ふとジャギ兄さんの馬鹿面が浮かんだことあり、オンボロアパートに足が自然と向いていました。
こういうサゲ気分の時は、自分よりさらに下を見たほうがいい——
「バカ面でも見て溜飲を下げてから帰ろう」っと、とジャギの家の前まで来た僕は、気の緩みからか「『子どもの道くさ』の〝はとこ〟はいいよなあ……」って、なんかそれこそジャギなんかより、いや他の誰よりもかっこ悪い、嫉妬心からの愚痴がつい口から零れたのです。
薄いベニヤ板を重ねただけのような玄関扉の向こうに居たジャギ兄に、それは筒抜けだったようです。
蝶番が錆び付いたドアをギギッと開けた途端、大声でぶん殴られました。
「馬鹿野郎、そこは、退かぬ・媚びぬ・省みぬ、だろうが、このボケ」真っ赤な顔をした兄がそこに仁王立ちしていました。
「負けること考えて戦うバカいるかよ」。今度は猪木さんの名台詞を完コピして、また僕に苛立ちをぶつけてきます。
僕は、長兄からかけられた言葉を瞬間思い出しました。
<あいつは、お前のことを心配しているんだよ>
うっ、兄さん……、僕が、僕が悪かったよ……
涙声を振り絞って詫びを入れました。
その夜は、久々に兄さんに誘われて近くの赤提灯へ連れていかれました。
「本当はもっと良い店に連れて行ってやりたいんだけどな。俺もいっぱいいっぱいでな」。僕の肩を抱くジャギ兄が、「ほら、生🍻でいいか」と、筋トレをこれでもかとしているであろうぶっとい腕をお茶目に上げる仕草をしました。
その晩は、久しぶりに、本当に美味いビールと焼き鳥を食しました。
翌日、僕はジャギ兄さんにすすめられたように、「子どもの道くさ」の〝はとこ〟↓を訪ねることにしました。
僕の話を静かに聞いてくれていた〝はとこ〟は、しばし考えるふりをしたあと、口を開きました。
「いいかい、たとえ思ったとおりに売れなくても、あせらなくてもいいんだ。僕を見ろ。君も知ってのとおり、十四年も経てやっとブレイクしたんだぞ。そんなこと、これっぽっちも予想したことなんてなかったさ。でもな、ある日、僕の面白さに気づいてくれた読者がいたんだよ」
僕は、つい「そんな十年以上も待てないよ」という顔をしてしまいました。
はとこは、エスパーのように人の心の裡を読むのか上手ですから、それが伝わったのでしょう。
「いま、君がやるべきことは無用な心配をすることじゃない。自分が何をしたいのか、自分の心を燃やし尽くせるものはなんなのか、それを自問自答して、ただその道を突き詰めるだけだよ。そうすれば、いつかどこかで、君のその熱い想いが滲んだ作品の価値に気づいてくれる人がきっと現れるはずさ」
<それは生きているうちに間に合うかもしれないし、もしかしたら、ずっと後世の人に委ねることになるかもしれない>
帰り道に、〝はとこ〟からもらった、そんな言葉がまた脳裏に浮かびました。
<僕はね生きているうちにどうにか間に合ったよ。ということは、天才ではなかったということかな。さて、お前さんはどっちかな>
自分の分というモノをわきまえているつもりの僕は、「一生このままかもしれない」、と、まだそうなるなんて限らないことをつい心配したけれど、同時に、ジャギ兄から昨晩もらった、渾身の魂がこもった台詞が思い返されたのでした。
「馬鹿野郎、そこは、退かぬ・媚びぬ・省みぬ、だろうが……」
——ふふっ、そうだよね、ジャギ兄さん。やる前から負けること考えてちゃダメだよね。
家路へと続く長い上り坂を蹴る靴に、まるで羽が生えたかのように、僕の足取りが急に軽くなりました。
そうだよ、どこまで行けるかはわからないけれど、僕は僕なりの道をただ信じて歩けばいいんだ。だってもうそれしか出来ないのだから。それでいいんだよね、そうなんでしょう、兄さん。
丘の上のアパートから見える夕陽がやけに胸に染みました。
きっと、そうなんだ。この奥のほうにある〝ほとばしり〟を頼って、ただ僕は突き進めばいいだけさ——
いまやっとわかったよ。そこに湧く滾りこそが僕の一番の宝物だったんだって。
そう呟きながら僕は何度も、熱い鼓動を奏でる胸の上に当てた右掌を愛おしくゆっくりと回し続けた。
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