七つのロータス 第33章 ヴァリィII

 女の悲鳴が聞こえた。ヴァリィは馬首をめぐらし、速足で声のした方に向かう。細い街路に犇く人々が、慌てて道を開けた。
「今の声はなんだぁ!」
大音声で叫ぶと、ひとりの男が細い路地を指し示した。ヴァリィはためらいもせずに、乗馬のまま路地に踏み込む。迷路のような路地を辿ると、男たちが四人がかりで女を地面に押し倒しているのが目に入った。
 ヴァリィは馬の勢いを緩めずに近づき、剣を抜いた。馬の脚で二歩間合いを詰める間に、他の三人はヴァリィに気づいて路地の両側に跳びのいた。ただ一人、 ヴァリィに背を向けて女に馬乗りになっていた男は、相手を押さえつけるのに夢中で気づかない。ヴァリィはものも言わずに馬の背から身を乗り出し、体重に任せて武器を突き下ろした。両手でしっかりと支えられた剣は、切っ先から真っ直ぐ下へ打ち込まれる。ぼんのくぼに突き刺さった刃は男の鎖骨の間から、再び顔を覗かせた。
 女の絶叫が耳を突く。ヴァリィは下馬して剣の柄を引き寄せる、死んだ男の体が起きあがり、剣を抜くと死体は支えを失って真横へ転がった。路地の上に仰向けに倒れたまま、身動きもできずにいる女の姿が顕わになる。胸の上に血だまりをつくり、目に涙を浮かべて震えている。
 ヴァリィは残る三人の男をねめつけた。三人とも青褪めた顔で、目を伏せて力なく立ち尽くしている。視線を女に戻し手を差し伸べるが、女はその手を取ることもしない。ただ小刻みに首を振るばかりだ。もう一度顔を上げ、布で剣の血を拭いながら男たちを睨みつける。
「お前たちが、どんな言い訳を考えているのか、楽しみだな」
女を跨ぎ越えて、男たちに詰め寄る。男たちは無言だ。
「ほら、弁解をしてみろ」
剣を持つ手を伸ばし、切っ先を右手にいた男の喉元に差し入れる。喉仏に今にも触れんばかりの剣を、顎鬚が撫でている。
「ふん、言い分は何も無しか」
男の苦しそうな顔に、脂汗が噴き出している。
「貴様らはどうだ、何か言いたい事があるか」
ヴァリィは凶器を引き寄せると、残る二人に視線を向けた。一人は歯の根も合わぬほどに震えて、地面に横たわる女と変わらぬ表情を浮かべているが、もう一人は真っ青な顔ではあるが、ヴァリィを睨み返していた。
「貴様はなにか言いたそうだな」
「勝者の権利だ」
ヴァリィが言うと、男は震える声で答えた。
「勝者の権利だと。笑わせるな。勝者!お前は一度敗北して、命乞いしたくせに。それを兵隊に使ってやったら、もう勝者気取りとは、恐れ入った」
ヴァリィは一歩、男に近づく。
「だがな、たとえお前がハラートの戦士であっても、これが許されないのは同じだ。俺が、ムラト支族の族長である俺が、この街の住人への狼藉を禁じたのだ」
男はもう口を開かなかった。

 三人の男を前、女を後に立たせて路地を出る。物見高い群衆が後じさり、半円形の空間ができる。
「この女の父親か夫はいるか?」
ざわめきが広がる。だが、名乗りでる者はない。
「いないのか?」
もう一度叫ぶが、人々は口々にわからぬことを言い交わしている。
「誰か言葉がわかる者は?」
人々の言葉が唸りのように聞こえる中、女を盗み見る。なんとか自分で歩いてくることはできたが、その顔にはまったく表情がない。死んだ男の血で汚れた服が、えび茶色に変わっている。
「草原の言葉がわかる者は、おらんのか?」
何度目か呼ばわった後で、ためらいながら群衆から進み出る者があった。
「少しなら、わかる」
大柄な男が、体格に似合わぬ自信なさげな小声で言った。
 男に通訳させると、ようやく女の父親が進み出た。
「俺の兵隊が申し訳ない事をした。下手人は引き渡す。煮るなり焼くなり気のすむようにしてくれ」
ヴァリィはそう言って頭を下げると、馬に跨り宿舎へ帰った。

 アズラが天幕に入ってきた時、ヴァリィはレンの包帯を外し、傷口の様子を見ていた。女はここ数日ですっかりおとなしくなり、時折痛みに顔をしかめながらも、されるがままになっている。
「おい、ヴァリィ!」
声もかけずに天幕に踏みこんできた副官に、ヴァリィは気のない視線を飛ばし、また女の傷口に目を戻した。
「少し待て」
ヴァリィは傷口を水で洗い清め、布で拭ってから新しい包帯を巻いた。女の食いしばった歯の間から、苦痛に満ちた息が漏れる。血も膿も最初の時からはずっと減っているし、傷口の中は、新しい肉が盛り上がって塞ぎはじめている。もう大丈夫だ。このまま静かにしていれば心配ないだろう。
「よく我慢した」
包帯を巻き終えたヴァリィが頭を軽く叩くと、レンは微かな笑顔をみせた。身の内に強い感情が湧き上がってくるが、今はそれに浸っている場合ではない。
 ヴァリィは副官に向き直った。
「待たせた。で、用は?」
天幕の入口に立つアズラは、うんざりした表情を見せている。
「困ったことをしてくれたな」
「何のことだ?」
言いながら視線を天幕の隅へやる。レンは這うようにして、暗い一隅に身を隠すようにもぐりこんでいる。
「兵隊が四人殺された。死体は切り刻まれ、踏みつけられ、打ち砕かれした挙句に大路で逆さ吊りにされていた。報せを聞いて行ってみたんだが、街の連中が無残な死体を取り囲んでお祭り騒ぎをしでかしてる様子は、戦場で育った俺でも鳥肌が立つほどだったぜ」
アズラの視線は揺るがず、ただヴァリィの瞳に注がれている。
「それでどうした?」
「どうしたもこうしたもあるか!止めさせようとしたら、連中はお前が許可したと言うじゃないか。もし偽ったのなら辺り一帯焼き払ってやると言って戻ってきたんだ」
ヴァリィはアズラの苛立ちをただ受け流し、しばらく間を置いた。
「奴ら、殺された四人の兵隊は、女を犯そうとしていた。だから一人は俺が殺し、残り三人はその女の父親だという男に渡して、気の済むようにしていいと言ってきた」
ヴァリィを見つめる副官の顔から、怒りや苛立ちが抜け落ちていった。あとに残った感情は不安だろうか。
「いったい何のつもりなんだ。味方の兵隊四人より、敵の女ひとりが大事だとでも言うのか」
「あいつらもハラートの戦士じゃない。この街の女になんの遠慮もいらんのなら、あいつらにだって何の遠慮もいらん道理だ」
アズラは天幕の戸口から、一歩中へ進んだ。
「あいつらは武器を持ってる」
「だからこそ、俺の命令に従わなかった罪は重い」
「そんなことを言ってるんじゃない。服属民の兵が一斉に反抗したら、ハラートの戦士だけでは押さえきれんぞ」
話が噛合わず、アズラの口調に神経質な高揚が忍びこんでくる。
「なら街の住民が一斉に反抗するのは押さえられるのか?」
アズラは何か言いかけて黙った。
「お前には言わなくてもわかる、と思ったんだが」
部屋の中央に座る族長は、副官にも座るよう促した。
「略奪は勝者の権利と疑わない奴らに、住民に手を出さぬよう納得させるのが容易ではないことはわかっている。だがな兵士の一部でも暴走したら、俺たちは終わりだ。わかるだろう」
「いざとなったら、街の連中なぞ皆殺しにすればいい。服属民の兵も、ハラートの戦士もそれを望んでいる」
「敵に囲まれているんだぞ。いくらこの街の守りが堅いといっても、その最中に敵が城攻めを始めたら、対応しきれない」
間を置いたが、アズラは無言のまま。
「街の住人には、身を縮めて嵐が過ぎ去るのを待っていればいいと思わせておくんだ。間違っても追詰めてはいけない」
「だが兵士たちの不満も、限界が近づいてるぞ」
「わかっている。俺を信じろ。勝算はある」
アズラは長い間考え込んでいたが、やがて立ちあがった。
「わかった。お前を信じる」
「なんとか皆をなだめていてくれ。服属民は脅しつけておけばいい」
副官は頷いて天幕を出ていった。

 さて、どうするか。ヴァリィは夜中に目を覚まし、寝転がりながら闇を見つめていた。この街に立て篭もって既に二十日。城壁を取り囲む敵が現れてからも半月経っている。この街が帝国とやらにとってそんなに大事なら、奪回に手段は選ばない筈。ヴァリィの待っている機会は、もうとっくに訪れていなくてはならないのだ。ところがそんなもの、かけらも見えない。ヴァリィは自分の読みが間違っていたかという不安が、忍び寄ってくるのを感じて、慌てて打ち消した。待ち望んでいる物は必ず来る。間違いはない。強くそう心に念じると、不安が薄らいでゆく。穏やかになった心で地面に身を任せると、天幕の端で身を丸めて眠って いるレンの寝息が聞こえてきた。

もしサポートいただけたら、創作のモチベーションになります。 よろしくお願いいたします。