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世界史 その13 クレタ島に栄えたミノア文明

 ミノア文明の中心地として知られる、クレタ島のクノッソスに農耕を伴う集落が成立したのは紀元前6000年頃。初期青銅器時代にはおそらくエーゲ海の文化が波及する形で、クレタ島にも文化的繁栄が訪れる。
 しかしギリシア本土とキュクラデス諸島の文化が多くの共通点を持つのに比べ、クレタ島には独自の文化が発展した。土器の様式や墓の様式などは考古学的な史料として残りやすく比較しやすいものだが、これらを見ていくと明らかに独自の文化が生まれていたようだ。

 紀元前2000年頃、エーゲ海の初期青銅器文化が衰退する。多くの集落で火災の痕跡があり、その後それまでと異なる様式の土器を使う人々が住み着いている。このことから侵略的な民族移動が推測され、ギリシア人がギリシアにやって来たのが正にこの時ではないかという説が有力視されている。
 ところがこのような文化の破壊は、クレタ島には及ばなかった。クレタ島ではむしろこの時期にミノア文明を特色付ける宮殿の建設が始まり、文明と呼ばれる発展段階へ進んでいくことになる。

 ギリシア神話でのクレタ島はミノタウロスを閉じ込めた迷宮(ラビリンス)を巡る物語の舞台となる。神話と実際の考古学的研究の比較や、エヴァンズによる発掘の経緯なども興味深いテーマだけれども、文章が散漫になるのを防ぐため、ここでは神話のクレタ王ミノスの名前からミノア文明の名がとられたこと、ギリシア神話が成立した時期のギリシア人にとってもクレタ島と言えば宮殿とイメージ付けられていたのかもしれないということを指摘するにとどめておきたい。

 クレタ島の宮殿はそれまでのエーゲ海で発達した大規模建築と比べても、桁違いに大きい。敷石の中庭を囲んで居住区・倉庫・作業場が配置され、経済活動の中心地だったと思われる。おそらくは宗教的権威による王権の元で、さまざまな物資が宮殿に集められ、再び分配されていったのだろう。クレタ島で使われた神聖文字と線文字Aというクレタ独自の2種類の文字も、このような経済活動の必要から生まれたのだろう。
 初期には多数の都市に宮殿が設けられたが、次第にクノッソスとおそらくはハニァに統合されていった。
 クレタの遺跡は宮殿だけではなく、研究者がヴィラとよぶ建物では葡萄酒が作られていたし、大規模な港湾都市もあった。山の頂や洞窟などには信仰の場が設けられていた。

 ミノア文明の発展はやがていくつかの島にも波及し、ミノア文明の特色を持った都市が発展した。サントリーニ島のアクロティリ遺跡はその一つであり、紀元前17世紀に起こったサントリーニ島の噴火により当時の都市が火山灰の中に保存されている。人々の生活跡や壁のフレスコ画が残っている様子は、ポンペイを思わせる。
 中でも「西の館」と呼ばれる建物に遺されたフレスコ画には、一団の船がいくつもの港を巡る航海をしている様子が描かれている。アクロティリの復元に似ている都市や、クレタの宮殿と思われる建物、アフリカを思わせる異国的な風景、更には海戦のシーンもあって、当時の交易の様子を知ることができる。
 アクロティリはクレタの影響が強いが、町の構造や土器の紋様にはかなりの独自性がみえる。また宮殿が設置されておらず、社会の構造もクレタとは違ったのかもしれない。

 アクロティリを火山灰に埋めた紀元前17世紀の大噴火は、かつてはミノア文明崩壊の原因とされていたが、現代では否定されている。ミノア文明はやがてギリシア本土に起こったミケーネ文明に呑み込まれていったようだ。

 ミノア文明の宮殿と牛モチーフの装飾は、ギリシア神話に直接的な影響を残している。古代において歴史と神話は渾然として切り離せないのが普通で、記録されている内容は常に考古学的な調査の裏付けを必要とする。僕の目指している教養としての「歴史」は、歴史学・考古学としての歴史を正しく把握しながら、同時に人々が歴史をどのようにイメージし、どのようなものと理解していたかもあわせて理解しようとするものだ。仕事の片手間に行うには大それた内容で、頂はおろか登山口に立つことも難しそうだ。
 教養としてミノア文明を思うときに、実際の遺跡から得られた最新の知見だけでなく、アーサー・エヴァンズをはじめとする発掘・研究の歴史、線文字Aと線文字B。神話のミノス王とミノタウロス、テセウスとアリアドネ、ダイダロスとイカロスのエピソード、更にはサントリーニ島の噴火で島の多くの部分がカルデラ湾となったことが後にアトランティス伝説を生み出した可能性などまで思い出せるようにしておくと、他の人と話すときの齟齬を少なくすることができるのではないかと思っている。

追記・ミノア文明の絵画や彫刻に残る「牛跳び」についての記事を書きました。よければこちらもご覧ください。

 トップ画像は大英博物館のサイトから「Bronze Group of a Bull and Acrobat」という収蔵品の写真をお借りしています。(大英博物館のオンラインギャラリーの画像はCC4.0で利用可とのことなので)

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