世界史 その0 猿人・原人を世界史に入れたくないわけ

 イントロダクションからだいぶ開いてしまった。
 こんなペースでは君たちに読んでもらいたいと思っている年齢になるまでにどのくらい書けるか、ずいぶん心配になってしまうが、ともかく書いていくしかないので進めていくよ。

 さて僕が高校時代に使っていた世界史の教科書を開くと、先ずは猿人と原人の説明から始まり、旧人・新人という用語が並ぶ。
 ここに僕は昔から違和感を感じていた。
 理由のひとつは僕が歴史だけでなく、古生物学も大好きだということだろう。ホモ・サピエンス以外の化石人類については、世界史の領分ではなくて、古生物学の領分だと強く感じてしまう。
 第2の理由も一つ目の理由と同じところから来る。生物学の知識が、滅亡した人類について、彼らは我々ホモ・サピエンス・サピエンスとは属・種・亜種のレベルで違う生き物であり、種として断絶しているのなら当然文化も断絶しているはずだ、と囁くのである。
 加えて僕自身の興味が化石人類については古生物学的興味が、文明が生まれてからは歴史学的な興味があるのだけど、その間の新石器時代については少し興味が薄いのは否定できない。これもまたホモ・サピエンス以前の人類と現在の文明をひと繋がりの歴史として認識することを妨げている。

 おっと12歳くらいで読めるように書くと言っておきながら、難しい言葉を使いすぎてしまったかな?
 要は世界史がアウストラロピテクス(今の教科書ではラミダス猿人とかも出てくるかな?)から始まるのは、ちょっと違う気がする。何故なら絶滅した化石人類は、そもそも生物として僕らとは違う生き物だから。それと真面目な歴史学者からは怒られてしまうかもしれないけど、文明が起こってからが世界史の本番だよなという思いもあるということだ。

 化石人類については、いつになるかわからないけど生物の歴史を纏めていく中で詳しく纏めたいなとは思っている。
 先週Wちゃん(上の子)がホモ・フロレシエンシスに興味を持ってくれて、楽しくお話ができて嬉しかったから、絶対にやりたいなとは思うんだ。
 研究の活発なジャンルだから、数年後に纏めることになったら、今の主流の学説とは全然違っているかもしれないね。

 次回は生物としてのホモ・サピエンスの誕生と拡散について、さらっと取り上げて次々回のメソポタミア文明誕生前後の話へと繋げていきたいと思っている。

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