昭和歌謡曲、フランス外人部隊を歌う

 ご存知の方は、あああれかと思い至ると思うんですが、知らない方には昭和の歌謡曲にフランス外人部隊をテーマにした歌があった、と言うと意外に思われるのではないでしょうか。
 歌のタイトルは「カスバの女」。子どもの頃、母がカラオケで歌ったのを聞いて知りました。当時は何となく聞き流していたのですが、最近になってフランス外人部隊についての歌って…。と思ったので、改めて歌詞を検索してみました。ちゃんと著作権をクリアしているサイトへリンクします。 

 一番冒頭、涙を雨だと言い張る昭和歌謡のお約束的な歌詞から突然飛び出す「アルジェリヤ」の語。知らずに聞いたらビックリしそうです。「地の果てアルジェリヤ」はいくらなんでもアルジェリアの人に失礼だろうと思いますが、2番の歌詞によるとこの歌詞の語り手の女性はかつてムーランルージュの舞台に立ったこともあるようですので、その主観ではまさに地の果てと感じられるのでしょう。パリの踊り子がどうやって植民地の酒場に流れてきたのか、いろいろ想像されます。
 かなりドキリとさせられる歌い出しの3番では、激戦地に向かう兵士を見送る女性の悲しい気持ちが歌われます。

 さてWikipediaによるとこの曲が最初にリリースされたのは昭和30年。ただしオリジナルは主題歌として予定されていた映画が製作中止になるなどしてヒットはせず、昭和42年のカバーで知られるようになったようです。
 そもそも外人部隊というのが歌謡曲としてキャッチーな題材であったかという疑問が浮かぶのですが、昭和30年と言えばフランス外人部隊が参加したアルジェリア戦争が勃発した翌年となります。現在よりもニュースなどで外人部隊の名前を目にする機会は多かったかもしれません。

 しかしそれを知ると新たな感想が浮かんできます。その当時進行中だった海外の紛争を強くイメージさせる曲を発表するのは、表現の自由がありますので禁止するべきではないですが、不謹慎であるという感想は避けられないでしょう。現在の日本でウクライナ戦争をテーマにした曲を発売しようとすれば、一定の批判は確実に受けるでしょう。
 ただ不謹慎と非難するだけでは生産的ではないですので、少しアクロバティック擁護してみます。

 この曲が受け入れられヒットしたのは、現代では不謹慎とされるような事柄にも当時は問題視されていなかった、鷹揚であった、問題に鈍感であった。というような風潮があったと推測できます。ですがただそれだけでしょうか。この曲がヒットした昭和42年であれば、まだまだ戦争を経験した方々も多く、戦場に行くということが現代の我々よりも身近に感じられた、ということは確実に言えるでしょう。
 ひょっとしたら戦争中は自国の正義を信じていたのに、敗戦後には自分たちは侵略者であったことを認めざるを得なかった日本人と、独立を求める植民地の人々を押さえつける側とされていたであろうフランス外人部隊の兵士たち。この曲を口ずさんだ人々は、外人部隊に自分たちの境遇を重ねていたのではないか。
 強引ではありますが、そんなことを考えたりしたのです。

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