世界史 その14.5 アフリカ史の存在感
高校世界史でアフリカは軽視されている。特にイスラム化も、キリスト教化もしていない地域は、ほとんど存在していないかのような扱いを受けている。僕が高校生の頃使っていた教科書では、帝国主義についての説明の後、イギリスからロシアまでのヨーロッパ諸国、アメリカとラテンアメリカの19世紀末~20世紀初頭の状況を説明した後、唐突にエジプト新王国と同時代にヌビアにあったクシュ王国が出てくる。そして10世紀にイスラムが拡大した先の西アフリカ諸国、東アフリカ沿岸諸国を駆け足で紹介した後、「列強のアフリカ分割」という項目に移る。
すなわち世界史において西欧列強がアフリカに進出するまでのアフリカは世界史の範疇に含まれておらず、ただいくつかの王国がその前史として紹介されているにすぎないという扱いなのだ。そして古代エジプト史やオリエント史の一部として扱われ得るヌビアやエティオピア、イスラム史の一部としての西アフリカ、東アフリカ諸国以外は全く触れられない。なんということだろう!たったいま気づいたけれど、この教科書にはグレートジンバブウェについての記載すらない!
この状況は日本の学校教育の問題、と言うわけではない。むしろ西洋の研究者が主導する世界の歴史学界が長年アフリカ史を放置し、存在しないかの如く扱ってきたことの素直な反映なのだ。いや「存在しないかの如く扱ってきた」のではない。西洋の歴史家たちにとって、アフリカ史は本当に存在しなかった。ヘーゲルやトレバー・ローパーといった人々が「アフリカに歴史はない」と断言している。
もちろんそんなことは誤りだ。人が暮らし世代が受け継がれている営みの中に歴史がないなどということがあろうか。数世代前までの西洋の全く自分が差別していることにすら無自覚な人種差別や、歴史とは何らかの目的に向かって進歩していく歩みだとするマルクス的な進歩史観に21世紀の日本に生きる僕たちが縛られる謂れはない。これらは西洋ですら時代遅れの概念となっているのだから。むしろ今後の世界で西洋史に偏重した世界史認識は、教養の無さを露呈する要素にすらなるかもしれない。
アフリカの歴史を学ぼうとする時、最大の問題となるのはサハラ以南の文化はほとんどが文字を持たなかったことだ。これこそが従来の歴史学的な手法の適用を困難にし、アフリカを歴史の外へと放り出した要因となる。
それでも1つのテーマに複数の学問の研究手法を適用するなど、近年の新しいアプローチが成果を出しているとのことである。今後、まったく新しい歴史の姿がそこに現れるかもしれないと期待している。歴史学の新しい地平を切り開こうとしている研究者の方々には、心からエールを送りたい。
かく言う僕自身もアフリカ史について人より優れた知見を持っているわけではない。これから勉強しなくてはならない分野だ。それでもこの世界史まとめでは地中海沿岸を除く所謂ブラックアフリカについても可能な限り取り上げていきたい。もちろん日本語での資料が限られていることは承知の上での「可能な限り」なので、力の及ばないところもあるだろうけれど。
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