持病から学んだ人生観について

 今日は持病と向き合ってきたこの8年とそこで得られた人生観について書こうと思います。というのも、昨日たまたま「20歳で群発頭痛を発症し人生についてよく考えるようになった」と言う人の動画を見て触発されたからです。自分もちょうど20歳、大学3年生の夏にメニエール病と診断されました。また、前庭性片頭痛も併存しております。この8年、多いときは数日に一度の頻度で、回転性のめまいや拍動性の頭痛、激しい嘔吐などに悩まされ、長いときは2日以上それが続きます。この発作が起きる度に自死という選択肢が頭をよぎります。群発頭痛と同じく、メニエール病はこちらに強い希死念慮を抱かせますが、直接の死因にはなってくれません。だからこそわたしは「この苦しみに耐えてまで、生きる意味があるのだろうか?」とひたすら自問自答するようになりました。

 結論から言いますと、わたしはこの8年の自問自答の結果、「生きる意味は無い」という結論にたどり着きました。

 ヽ(・ω・)/ズコー

 ずっこけさせてしまい誠に申し訳ございません。でもこの答えは、わたしにとって唯一の希望になってくれているのです。そもそも「全ての人には生きる意味がある」なんて綺麗事は非常にリアリティの無い無責任な言葉だと思っています。ならば、少し変化を加えてみて、「全ての人には生きる意味が無い」と言ってみるのはいかがでしょうか。わたしはこれには全面的に同意できるのです。かの有名な投資家ウォーレン・バフェットはその一挙一動で株式市場に非常に大きなインパクトを与えることができます。しかしそんなものは人類以外の生物からすれば「知らんがな」です。宇宙の歴史と比較すれば塵にもなってくれません。人間一人の人生なんてたかが知れているのです。

 つまり、「病気になろうがならまいが、自分の人生には最初から意味が無かった」ということに、やっと気付いたというわけです。多くの人はこの真実に絶望するのでしょうか。しかし何度も言いますがわたしにとってこれは希望です。わたしは病気のせいで大学生活とキャリアにおいて多くの目標を諦めることになり、周囲の期待を裏切り続け、意味のある人生を送れない自分に対して失望していました。でも失望する必要なんて全く無かったわけです。スティーブ・ジョブズですら意味のある人生を送ることは不可能だったのですから。だってこの文章はソニーのスマートフォンから投稿されています。

 そして次に考えたのは、この意味の無い、不毛地帯の世界をどのように彩れば良いのか、ということです。ナルシストなわたしはとりあえず自分の理想の姿を想像し、これを額縁に入れて常に頭の中に飾っておくことにしました。タイトルは『病気というハンデを抱えながらも精神的にも経済的にも自立している、平日は仕事に励み、休日は趣味に没頭する、努力家で常に冷静な女性』です。ありきたりで恥ずかしいです。でもわたしはこの理想があるから今の大変な仕事を続けられます。病気に負けずに仕事を頑張っている健気な自分が愛おしいと思えるからです。そんな自分に酔っているからこんな意味の無い人生を捨てずにいられるのです。「人生はアートだ」。ジョン・レノンのこの言葉は非常に現実的かつ本質的です。人生と一緒でアートは意味がありません。役に立たないからです。でも喜びや悲しみ、快や不快などの様々な感情を想起させ、日常に彩りを与えてくれます。わたしにとってはその「理想の自分」こそが、世界を彩ってくれるアート、すなわち生きる理由なのです。

 全ての人生は不毛です。だから最高のアートを探しましょう。バフェットにとってはそのアートが金儲けだったという話です。ジョブズにとってはものつくりが。多くの人にとっては恋人や家族がそれに当たるでしょう。生きる意味などありません。ただし生きる理由なら見つけることができます。これを詭弁だと思われますか。それでも良いのです。自分自身を騙し続けていれるなら。

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