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ride | weekly


決して覗かないでください。そう言うと娘は隣の部屋でカタカタと音を立てつつ一晩中何かを作っていた。3Dプリンター全盛のこの時代において、モノづくりは劇的に変わった。日本が鎖国をしていた400年の間に世界は一変した。70歳以上の人間が3年かけて絶滅し、意図せず高齢化社会を免れ若返りを果たしてから、鎖国状態も作用したのか特異な進化を遂げた。既得権益というか、権益自体がなくなった。政治と行政を担う人間が激減したことでなし崩し的に自動化とコンピューティングによる予測が採用されるようになった。そこから国有化への道はほぼ抵抗もなく、人々は私的所有権の制限と生存という二択を迫られた。もちろん、私的所有権を選択した人間は社会的にも生命的にも死んでしまったことは言うまでもない。2000年前後からパラレルワールドもののラノベが流行っていたせいもあるし、そもそも鎖国と言っても人的交流に制限が設けられたりといった緩いもので、インターネットの世界に制限はなかった。アクトローカル、シンクグローバルという言葉があったが、まさに生活は半径100Km圏内で、物流はハブになるターミナルまでが自動化され、もともと都市部への人口が集中していたこともあり、まさに森とその間に点在する街という様相であった。モノづくりの概念も大きく変わり、生産は基本的にオーダーを受けてから製造が始まるようになった。コンピューターが人間の複雑な行動パターンを予測するのではなく、人間が計画に沿って行動するようになったのだ。人間は世界の中心ではなく、生存のためには人類全体を管理する計画が必要だ、ということにようやく思い至ったわけだ。住居のあり方も大きく変わった。湾岸のタワーマンション群は更地にされ、居住地は5年毎に国のコンピューターにより割り当てられて移動することになったため、地主はいなくなり、また地権というものもなくなった。

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彼女は音読を止めると、喉を潤し、こちらに向き直っていつものように話し始めた。鶴の恩返しという寓話が含意するところの応報というものは、公平世界仮説の強化になっていたのではないかと思うが、効果検証の結果バイアスの排除が進み、そもそも人間が判断しなくなったことによってより合理的かつ効率的な世界が実現できたのは皮肉だ、というような内容だった。まあ人間が公平であるべきだと思うことと、世界がそのような因果応報をそのシステムとして実装しているかどうかというのは別の話なのでその通りなのだろう。自分で判断しないというのが自分のためになるというのはまさに皮肉ではあるが、自分で判断すべきだ、という信念もまたどこかのタイミングでは都合が良かったというだけなのかもしれない。人間は自分自身にさえ平気で嘘をつく。私的所有権とセットで自己責任を説いていたのは都合が良かったからで、いざとなれば国有化や権利の制限などというのは容易に行われるわけだ。ルールが守られるべきだ、と言いながら自分がどのようなルールのゲームに参加しているか知ろうともしないのは滑稽ではないか。

海に沈む太陽は美しく、まもなく訪れる夕闇の濃紺とオレンジがなだらかに続く色の概念であることを証明している。世界は人間の思惑とは別にそこにあり、我々はつかの間の目撃者に過ぎないのかもしれない、と毎日思う。

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キノコです。

同僚からTwitterのアカウントを特定しました、という報告をいただきました。まあだからなんだ、ということもないですし、いまさらどうしようもないことが世の中にはたくさんあるわけで、そういったことを受け入れていくというのもまた成長なんだろうと思います。人には常に成長の機会があるわけで、それを活かすかどうか、という姿勢の問題なんでしょう。

日々のニュースを見ていると人間は見たいものを見たいように見るということを実感するわけですが、ありのままに物を見られるとしてそれを受け入れられるような精神が備わっていない場合発狂してしまうわけですが、人類の心理的機能の進化の歴史はいかに発狂せずに死ぬまで生きるかという仕組み作りに費やされてきたことが分かります。

というわけで、まあ色々大変ですが、狂わずに生きていきましょう。

さて、キノコの好きな高城剛氏は思考の拡がりや多様性は移動距離に比例するというようなことを仰っていましたが、世界的に移動が制限されていく中で人々の思考はどう変わっていくのでしょうか。今までも職場と家の往復だったよ、という方も多いかとは思いますが、リモートワークできるから地方に移住するか、と思ったら来るなと言われるわけで、別荘を持っている都心民はどういう生活をしているのでしょうか。様々なものが何を前提としていたのか、というのを考えさせられているのは根源に迫ることを生き甲斐にしている者としてはなかなか興味深いなと思っております。人々の思考様式が目に見えて変化するのに実際には10年近くかかるのか、あるいは外的ショックによりすぐにでも変わってしまうのか、というのは分かりませんが、その渦中に居られるというのは望んでもなかなか得られる機会ではないと思うので見逃さないようにしたいものです。村社会への回帰が起こるのか、それを乗り越えていけるのか。これだけ世界が複雑に連携してしまった後に村社会に戻ることは可能なのでしょうか?帰るべき場所をもたない人間としては回帰ではない方への変化を望みます。

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