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主語のおおきな話|2023-02-27

今回は、うでパスタが書く。

戦争が始まって一年になるということがあちこちで言われていたようだが、そろそろ「いつ終わる」とか「どのように終わる」とか、あるいは「どちらが勝つ」とかいうことが聞かれなくなっており、要するにみんな飽きたか疲れたという(つまりbe tired ofである)ことがよく分かる月末だ。

日本ではあいかわらず「ロシアはとんでもない国で、ロシア人はみな人でなしだ」というような言説が飛び交っているが、ひとはつまり絶対に反撃されないと分かっているとどんなことでも言ってしまう。普段はしたり顔でそんな性質をあげつらっているひとも、気が付けばおなじことをしているのだ。正義は貧乏人の娯楽だなどと斜に構えていたかと思うと途端に声高に正義を叫びはじめる様には狂気以外のなにものも見出すことができない。

「ウクライナのひとびとの思いがある限り、我々はそれを支援する義務がある」と格好のいいことを言っているが、日本は戦前ならまだしもロシア軍によるウクライナ侵攻から一年を経た現在もまだロシアからLNGを輸入している。その状態で首相がキーウへ飛んでゼレンスキーを激励するとかしないとか言っているのだからそこには正義も何もなく、つまり私たちの国はロシアとウクライナのどちらも「切れないでいる」だけなのだ。
いずれこの問題が東アジアで、いわゆる「台湾有事」に再現されることはほとんど間違いがないが、そのときに私たちは「台湾のひとびとの独立への思いがあるかぎり」とおなじようなことを言うのだろうか。そもそも日本は台湾を国家承認していないし、世界にこれを承認している国は十四カ国しかないそうだ。こんなに都合のいい正義があっていいのか、という話だと思う。

※ここ一年で話題になり、ほとんど誰も悪く言わない二冊の本が「新しい世界の資源地図:エネルギー・気候変動・国家の衝突」と「THE WORLD FOR SALE 世界を動かすコモディティービジネスの興亡」だ。私たち一般の読者に向けてこうした書物が発刊され、広く読まれていること自体が来たるべき時代の姿を暗示している。

「主語が大きい」ことを言うと叩かれやすくなる風潮がはっきりするようになってもう随分になる。「男は」とか「女は」とか「日本人は」とかいうと、議論が雑だとか、悪ければ低脳とか言われて最悪は過去のツイートから犯罪行為や中華転売までが掘り起こされて社会的に葬り去られて(すなわち葬り去られて)しまう。
だがひとたび「ロシア人というのはこういうものです」と何かの専門家が言うと、「やっぱりロシアはダメだな」となるのだから、やはり物をいうのには「空気を読む」ことが必要で、力のあるひとが何かを言ったあと、肯定的に受けいれられるのを確認してからそれに乗っかっていくというようなことをみんな無意識のうちにやっているのだろう。理性も正義も、論理性も何もない、自分が批難されずに大きい顔をしていられたらそれで満足なだけのマジでゴミみたいな見下げ果てた存在、それがみなさんだと思う。ズッ(コカインを吸う音)

しかし昨今ますます私は国民性ということ、つまり「日本人は〇〇である」ということに開き直るというか、あまり怖れずに主語の大きな議論をやっていく必要性を感じている。
もちろん主語の大きな議論はどうしても脇が甘くなるというか、「俺は日本人だけど〇〇ではないが?w」という反証が容易(ところで「論破」ではない、これは。議論に論破などという決まり手は存在せず、それは別の競技の話だ)なので言う方には勇気が要るのだが、だいたい物を言うのにさしたる勇気が不要になったからこそ世の中はこれほどやかましくなったということもできる。それ自体は悪いことではないが、大切なことはそこにはない。

さて、いま「ロシア人は全員がゲス」であるということに私たちのほとんど皆が賛同しているのならば、おなじように「日本人は全員が〇〇」であることについて考えてみてもまさか「主語が大きい」との誹りを受けることはあるまい(ロシアの人口は一億四千万人であり、日本のそれを上回っている)。

私はもうずっと日本の財政の心配をしていて、それはたしか時の首相であった小渕恵三が「俺は平成一の借金王」と言いながら財政支出の拡大に賭けたときにはまだ「仕方がないのかもしれない」と思っていたのを覚えているから、そのあと長くても二〇年ぐらいのあいだ日本国債が紙切れになる、つまり銀行を全部破綻処理して新円を発行し、あらたにドル円のレートを定めなければならない(いわゆるデノミネーションをおこなう)ことになるのを怖れつづけていることになる。

この間に日本人が何を求めてきたかについて考えてみると、「高度経済成長の再来!」を叫んでいるひとはあまり見たことがないので、つまりは日本がてっぺんを取りそうになった平成バブルへの回帰をなんとなく夢見ているのだが、約二〇年つづいた高度経済成長期にくらべ、平成バブルは長く見積もってもわずか五年のあいだのことだ。「あれが日本の実力であり、あるべき姿」だと考えるのは引退したJリーガーがまだワールドカップ目指しているみたいな話で、生き方としては全然否定しないが、「おまえ嫁も子どももいてるのに何やってんねん!」というのが正しい突っ込みだったであろうとは思う。

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