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fortune telling | weekly

「大通りの雑踏から2本裏に入った路地の奥にその占い師のお店はあった。
占い師のいる場所をお店と言っていいのか分からないけれども、商売で占いをしているのだし、商売をする場所はお店なので、お店でいいだろう。そもそも入り口には象徴的な星と月の描かれたプレートがあるだけで、なにより店名を知らない。占い師は柊と名乗っていた。まあ実名ではないだろうし占いという職業が実名により何か付加価値をもたらすわけでもないので、気にすることはない。

占いに凝り始めたのは中学生の時だった。何をしても上手くいかないと感じる日々がしばらく続き、自分の努力ではどうにもならないのではないかと諦めかけた時に、雑誌の終わりの方で目にした星座占いだった。生まれたタイミングで運命が決まるのであれば自分の日々の悩みなどは予め決められていたものであり、逆に言えばその日はそういうものとして乗り切ればいいということだ、と考えるようになった。

初めての恋も、テストも、誰と仲良くすべきかも、何を食べるべきか、何を着るべきか、何を聞くべきかまで決まっていくのは気持ちが良かった。その通りになるかどうか、というよりはその日どんな気持ちで生きていけばいいのかというのを示唆してもらえることがなによりありがたかった。これは星のお導き、と思って過ごすのは清々しい。自分の成功も失敗も、それは星の動きによって決まっているのだ。ただ、今回占いに来たのは他でもない、そんな星の導きが、端的に言えば信じられなくなってしまったのだ。一度不信感を持ってしまうともうダメで、朝起きていつものように占いを見ても、本当にそうなのか、と一日中考えてしまい、異なっているところばかりが目につくのだ。正しいかどうかを気にしていなかったはずなのに、当たらないことに落胆してしまい、それを受け入れる心の余裕がなくなってしまっている。いつの間にか自分のことなのに自分で決めることができなくなってしまった、自分の好きなこと、自分の好きな食べ物、好きな色、今付き合っている人との出会いですらも、疑わしくなってくる。」

彼女はいつものように音読を止めると、窓の外に目を向けた。空には5つの月と、6つの星が輝いている。太陽は既に沈み、濃い藍色の空が広がっている。風が強いのか雲の流れは速く、薄く細く伸ばされている。厚いガラス越しには外の音は聞こえないが、夜の生き物たちの鳴き声が聞こえるのだろうか。生態系の変化に伴い、かつて湾岸のタワーマンション群であったエリアは類人猿の楽園になっている。夜行性ではないので、夜は静かにしているのかもしれないが、時折なにかを警戒するかのように鳴く声が聞こえるという報告を読んだことがある。環境の変化は思いの外早く、人類が放棄したエリアはすぐに野生化した動物たちの住処となっていった。自然界の秩序を構成する法則は結局分からずじまいで、食物連鎖の頂点にいたと思っていた人間の自信は儚くも崩れ去った。

そこには占いで決まるような運命というものはなく、偶然の力が支配する世界なのではないか、というのが私の見解だ。自然の秩序とはどのようなものかという疑問は、どこまでいっても人間側の理屈であり、そもそも秩序立っているのかということが人間には分かり得ない。ようは認知する側の問題なのであり、それはその器によって決まってしまうのではないか、ということだ。かつて人間性を捨てようというスローガンを掲げて研究に邁進していた学者がいたが、人間を超えていく、という姿勢が人間社会に受け入れられることはなかったようだ。

超自然的な何か、というものの存在を感知することができるのか、というのは古来より議論になってきたわけだけれども、まああったにせよ、なかったにせよ、受信する能力がなければあっても分からない電波のようなもので、電波系、という比喩はまさしく適切だったと言えるだろう。異なる法則の支配する世界に生きている者同士のコミュニケーションがどのようなものであるべきか、というのは、宇宙人がいたとしてどのように意思疎通を図るのか、という問題と相似である。翻って考えてみると、そもそも我々はなぜ意思疎通ができていると感じるのだろうか、というところに返ってくる。望むような行為を引き出せているからだろうか。あるいは、質疑応答が成立しているからだろうか。

知る由もないことを知っている、という感覚というものを無碍に否定することはできない。とはいえ、そのような感覚とどのように付き合っていけばよいのだろうか。

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キノコです。

4月は終わった。
そう宣言された先週のnoteでしたが、兎にも角にも先が見えない状況から、少し先が見えてたような気もします。まあ立場によって見えている世界が大きく異なるということが証明されてしまったわけですが、リモートワークという名のプライベート時空間の侵食が止むことを願ってやみません。仕事がとにかく終わりません。この機会だから自動化を。どの機会なのかということを問おうとしている間に、自動化、というところだけが残るみたいな状況です。やっていきましょう。

さて、そもそも年金支給額が減っていないのになんで一律給付なのだ、と橘玲氏は書いておられましたし、エマニュエル・トッドもまた世代間の不公平感を払拭しておかないと大変よね、という話をされておられました。個人的にはこれまで積み上げられてきた世代間格差、世代間闘争の問題がもっとクローズアップされるかと思いきやそうでもないことが不思議だったので、ようやくこうした話が出てきたことに安心をおぼえた次第です。もっと老人世代の恐怖を煽っていくコミュニケーションが必要なのではないかと思いますし、若い世代は戦っていく姿勢を見せてもよいのでは、と思います。10万円で懐柔なんかされないぞ、という強い気持ちが必要でしょう。

富の再配分をもたらすとされる疫病ですが、米国では2千万人超が失業しており、世界では数百兆円という規模で経済的な損失が出ていると言われております。その実体経済への影響(よく聞く実体経済への影響、という言葉ですが、金融は経済活動の一環なのではないのか、といつも疑問に思います)はこれから本格化してくるとも言われております。バフェットが5兆円損しているみたいな話もあります。一体そのお金はどこに消えているのでしょうか。再配分ではなく消失なのではと思いますが、いつか巡り巡ってくるものなのでしょうか。

先日見た「Crazy rich asians」という映画は結果シンガポールのプロモーションだったわけですが、それでも、2018年あたりの空気感というか、バブルの匂いがしてよかったです。日本でもIR誘致というのは話題になりましたが、このコロナ禍の影響で観光レジャー産業というのは大きく変化をしなければならなくなるでしょう。人を集める、経験させることを主眼にした大規模コンベンション、というものがそもそも実施できなくなるわけですし、気軽にオンライン化すれば?というものでもないわけです。空間作りというのは、ディズニー的なものも含めて設備投資が左右する領域なわけで、未成熟なVRはまだその代替にはなりえないわけです。観光産業でやっていくぞ!と観光立国宣言みたいなのをしておりましたが、どう転換していくのでしょうか。NASDAQは高値を更新しようというのに。

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