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自由になるのは大変なのだ | weekly

「海辺にお城を建てたので遊びに来てください」
18年ぶりに来た友人からの手紙にはそう書いてあった。
ドローンで撮影したと思しき絵葉書の写真は、確かにお城と言われても納得の行く建物で、まさかそれが個人の別荘だとは周囲の住人も思わなかっただろう。昔から節操のない人間ではあると思ってはいたが、やりたいと思ったことは実現するというバイタリティもあったということで、それは評価すべきところなのではないかと思う。友人、と書いたが18年も連絡をしてこないので、その間何をしていたのかは全く分からない。SNSという近況報告のためのツールも使おうとはしないし、そもそもスマートフォンですら持っているか怪しい。この時代に、と言ってしまえばそれまでだけれども、彼の生き方を見ていると自分のほうが時代に迎合しているにも関わらずろくな成果もなく生きており、人生とは何かということを考えさせられてしまう。ドローンで撮影をしているくらいなので、ガジェットは相変わらず好きなのであろう。スマートフォンも持っているかもしれないし、自分が知らないだけでSNSでは有名人という可能性もある。しばらくその絵葉書の写真を眺めながら、私は18年という時間の間に自分が何をしてきたのかを振り返ってみた。結婚し、子どもが生まれ、15回転職をして、11回引っ越しをした。変化と流動性の時代、と言われただけあって転職や引っ越しが2桁というのも珍しくはなくなった。仕事の定義も随分変わってしまった。ロボットや人工知能が爆発的に普及したおかげで、世界はすっかり変わってしまった。労働によって生活を成り立たせる、いわゆる生業というものがなくなったことは人々の価値観を大きく変えた。みな働きたくないと言っていたが、いざ仕事というものがなくなってみると何をしていいのか分からないという人が世の中にはこんなにいたのか、ということに驚かされた。文字通り、穴を掘ってまたそれを埋めるという仕事でもいいから何かをしたい、そしてその対価として何かを与えられたい、という人は多かった。しかし、社会に必要のない労働のための労働を許すほどの余地はなく、湾岸のタワーマンション群では無気力さに溢れた人々がこぞって海を目指した。海辺には締まりのない身体をしているものは一人もおらず、無駄に筋トレをした結果黒光りする肉体を持て余した人間がわんさといた。とはいえ、肉体の頑健さというものもロボットにはかなわないので、人間の中ではしっかりしている、という評価がくだされるだけだ。そう、ロボットと人工知能は全てを変えてしまった。全て、というのは人間の全て、ということだ。人間というものが持っていた尊厳や自尊心といった価値観を根こそぎ崩壊させてしまった。古代のSFで書かれたような、ロボット対人間、という争いは起こるべくもなく、人間には何の抵抗もできなかった。
そう、お城の話を思い出した。実現できる、ということは理論的には可能という話であって、誰も実現しようとは思わなかったプロジェクトがあった。何かを夢想すること、思い描くことと実現することの間には大きな隔たりがある。仮説を立てて検証をして、それが実現可能だということを確認してもなお、それを実行に移すためには大きなエネルギーがいる。その大きなエネルギーというのは、資本や人徳、機会や環境などさまざまな運を引き寄せる重力のようなものだ。友人は普段は何を考えているのか分からないところがあり、また目立つようなこともしなかった。それでも、時折思いついたことは必ず実行に移していた。当時は変わっていることや、運がよく見えることなどをそれほど不思議には思わなかったけれど、今になって思い返せば、そこには彼にしか見えていない何かしらの道筋のようなものがあったのかもしれないし、それゆえ彼は実現できるか否かなどを考えずにごく自然に振る舞っているように見えた。
時代や環境の影響というものを過小評価する必要はないけれども、過大に評価する必要もない。大きなうねりは人々の人生を翻弄する。流される、抗う、向き合い方は人それぞれだけれども、いずれその結果というものをどこかで精算しなければならないタイミングというものがあると考え、人は妥協点を模索する。しかし、精算は本当にしなければいけないのだろうか。有限の人生という考え方自体が何かに囚われた発想なのではないか。お城を建てる、という話を数年前になにかのニュースで見た際には公共事業の一環としてまた穴を掘って埋めるようなことをしているのかと流してしまっていたが、合理性や経済性を無視して何かを成し遂げるということに執着している人間もまだいたのだ。

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キノコです。

2019年最後のWeekly Magazineということですが、この先何十年も続くことを考えると毎年振り返りなどをしていると身がもたないので、特に普段と変わりなく進めたいと思います。とはいえ、2019年の書籍の売上げランキングなどを見るとやはり感慨深く、図書室にはベストセラーというものがほとんどないということに気付かされます。『三体』や『暴力と不平等の人類史』はさすがにあるものの、という感じです。樹木希林の本が売れていたこともランキングを見て知るくらいなので、自分は世間の何を知っているのだろうかと反省してしまいます。

現在在籍している会社はいわゆるコミュニケーションに関わる業種なので、オフィスでは一日中TVがついているのですが、朝から晩まで呆けたように見ていると、なかなか興味深い発見があります。ネットでは受け取る側の工夫によって同時並行的に多数のニュースを見ることができるわけですが、TVは2画面くらい、音声を出そうと思うと脳がバグってしまうので1番組を見るのが精一杯だったりします。なぜかオフィスでは日テレ以外は見ることが許されていないため、日テレしか知らないのですが、情報統制されているのか、というくらい繰り返し同じニュースを流しているわけです。報道の自由というのは何を報道しないかの自由である、という皮肉がありますが、まあそう言われてしまうのも仕方ないよね、という感じです。早く席替えをしたいです。

職業選択の自由があるはずなのになぜ一般受けをしない人間がコミュニケーションに関わる仕事を選んで就いてしまったのか、ということは今後の生涯をかけて分析していかなければならないわけですが、早くAIに仕事を奪われたいですし、もっと人間的にエモい仕事がしたいなと思うわけです。

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