神様に頼ると、未熟者も賢くなる

      私にはザルのような頭を持っており、頭を使ったり、やや複雑な作業を急いで行うことが求められたりするような仕事をすることができません。そのため、仕事を探す前には、いつも、決まって何度も熟考していました。より多くの努力をする必要があったとしても、脳を余り使うことを求められない仕事を希望しています。

     2015年、私は小さな食材店で商品の卸売と在庫管理を受け持つ仕事を見つけました。私はこの仕事は自分にぴったりだと感じ、「とりあえず試してみよう」の姿勢で面接に臨みました。その倉庫に行くと、予想に反して、200以上の種類のさまざまなスナックがぎっしりと保管されていました。その光景に目がくらみました。

      上司は、「各スーパーマーケットの注文に応じて、すべての商品を準備・梱包することが私達の業務です。商品の種類と数量をミスなく正確に手配しなければなりません」と言いました。上司のこの言葉を聞き、心の中で、「この仕事は複雑すぎる。これらの商品を覚えることは自分にとっては厳しすぎる。さらに、種類と数量に関して商品を正確に出荷しなければならない」と考え、私は彼の高い要求に恐れをなしました。そう考えた途端、頭痛がしてきました。しかし、昨今、仕事を見つけるのは簡単ではありません。まずは、数日働いてみてから決断してもよいだろう。

     「やるだけやってみよう」の姿勢で臨みましたが、わずか数日で、その仕事に耐えられなくなってしまいました。商品の名前やそれらが配置されていた場所を覚えることが最も難しく感じました。あまりにも商品の種類が多く、常に混乱してしまいました。その上、非常に多くの商品が無秩序に山積みになっているときがあり、倉庫の中をひっかき回して、商品を探さなければならないことも私にとっては困難でした。一部のダンボールは上下逆さに置かれているため、名前を確認するために頭を傾けなければなりませんでした。正しい商品を見つけることができないときには、同僚に尋ねました。しかし、いつも助けを求めるのはあまりにも恥ずかしく、また、彼らの迷惑になることや、馬鹿だと言われることを恐れて、歯を食いしばって自分で商品を探し回りました。いつも、顔は汗だくでした。ときには、特定の商品を見つけるためにいくつもの部屋をひっかき回す必要がありました。1日の仕事を終えると、足の裏の感覚がなくなり、脚が痛くなっていました。帰宅してベッドに横たわると、もう起き上がりたくないと思いました。

      職場で、私の精神状態は1日中常時張り詰めていました。ミスを恐れ、目をかっと開いて各注文を確認するのに集中し、注文にリストされた商品を声に出して読み上げていました。しかし、ミスを恐れれば恐れるほど、より多くの問題が生じていました。商品を読み上げてたにもかかわらず、倉庫に着くと何を取りに来たのかを忘れてしまったり、1種類だけを取って、他の商品を忘れてしまったりするときもありました。そのため、他の同僚よりもミスが多く、ほぼ毎日、上司に叱責されていました。上司に呼ばれるときはいつでも、その瞬間から震え上がっていました。

      職場での長時間に及ぶプレッシャーとミスを頻繁に犯していたことにより、心身ともに疲れ果てていました。私はあまりにも馬鹿すぎて、このような細かな仕事には適していないと感じ、仕事を続ける自信が本当にありませんでした。ある集会で兄弟姉妹に心を打ち明け、私が抱えている困難について伝えました。

画像1


画像はご参考までに
     すると姉妹王は、「聖書には次のように記載されています。『主はわが岩、わが城、わたしを救う者、わが神、わが寄り頼む岩、わが盾、わが救の角、わが高きやぐらです』(詩 18:2)。『わたしはシオンに、つまずきの石、さまたげの岩を置く。それにより頼む者は、失望に終ることがない』(ロマ9:33)。私達の能力は限られており、自分たちだけに頼って多くのことをすることはできません。しかし、神様にとっては、何1つ困難なことはありません。神様だけが知恵の源で、私達の知恵と知性は神様から来ています。私達が神様のお導きとリーダーシップを受け取ることができれば、あらゆる困難は簡単に解決されるでしょう」と言いました。

     姉妹が話し終わると同時に、兄弟チェンが「そうです。私達は自分たちの能力に頼って常の物事を行っています。物事がうまく行かなくなったとき、信仰や神様の御言葉、神様が私達に授けてくださった知恵により困難を克服するのではなく、自分たちにはできないのだと言って自分自身に罠をかけています。この環境では、もし、私達が神様に頼り、神様を仰げば、神様は常に私達の助けになってくださいます。その結果、私達は神様の御偉業を目の当たりにし、神様への真の信仰をさらに深めていくでしょう。もし私達が、現実的な場面で神様に頼る代わりに、自分は無能だと頻繁に結論付けていれば、神様の驚くべき御偉業を目の当たりにすることは決してないでしょう」と言いました。

      兄弟チェンは続けて、「ヨシュアがイスラエル人を率いてカナンに彼らを帰したときのことを考えてください。道中、彼らはエリコの外で立ち往生させられましたが、ヤーウェ神の約束を確信していました。彼らはためらうことなく前進しました。困難に直面したとき、彼らはひるむことなく、神様にすばやく助けを求め、信仰により戦いました。最終的に、彼らは1人も兵士を失うことなくエリコを制圧しました。当初、モーゼがイスラエル人を率いてエジプトから出国していると、目前に紅海が広がり、背後からはエジプト軍の追っ手が迫っていました。しかし、イスラエル人はヤーウェ神の偉大なる御力と神の御約束を信じていました。彼らが真実の心で信仰により神様を求めると、奇跡が起こりました。紅海の中から、土地が表れ、追っ手であった兵士を排除してくれました。彼らの信仰は神様の御言葉に根ざしていたため、彼らは最終的に神様の御偉業を目の当たりにしました」と言いました。

     彼らの交流を聞いて、私は分かってきました。私は自分の愚かさについて常に文句を言い、同僚の賢さを称賛していましたが、自分の困難を克服するために、一度も神様に頼ったことがありませんでした。私達のすべての知恵は、神様から来ています。神様は私の品質と能力をご存知です。神様は私のために仕事を手配してくださいました。従って、私に困難なときを過ごさせようとは絶対的に考えていらっしゃらないはずです。神様は、私が自分に自信を持てず、私が神様に頼ることも、神様を仰ぐこともほとんどないことをご存知です。そこで、神様は私が能力不足を補い、この環境を通して神様への私の信仰を完全にしたいとお考えになったのです。こう考えると、心がずっと啓けてきました。それ以降、私は神様に頼り、困難を神様に委ねることにしました。私は神様にとって困難なことは何1つないと信じています。

     このようにして、私は神様と協力し始めました。私は神様の御前で心を静めることを実践し、私をお導きくださるよう、神様に頻繁に祈りました。心から神様に頼ることを実践すると、1日中疲れ果てることも、心が急かされることもなくなり、少しずつ仕事のやり方を覚えていきました。その次の日には、驚いたことに、叱責されませんでした。神様の御偉業を目の当たりにし、私の心の中は喜びではちきれそうでした。それからは、1日の業務を通して、私をお導きくださるよう、神様にお願いし、私は神様に近づけるよう意識するようになりました。注文を忘れてしまうことがあっても、神様が他人を通して、私に思い出させてくれるようになりました。私が何らかの商品を梱包するのを忘れていると、誰かがそれを見つけ、教えてくれるようになったため、間違いを回避することができるようになりました。

     徐々に、私は間違いをしないようになりました。毎日、ミスをする人がいましたが、私はその中の1人ではありませんでした。さらに、上司は私を褒め、他者に私を見倣うようにと言い始めるようになりました。他の従業員は全員、「おかしいなぁ。なぜ彼は昔のようにミスを犯さなくなったんだろう?」と言っていました。それは神様のリーダーシップのお蔭で、自分自身にすべて頼っていたらこれを達成することはできなかったことが分かっていました。その頃、私は仕事への態度を「抵抗」から「協調」に変えました。

      その後、神様に頼る中で、神様の驚くべき御偉業をさらに目撃しました。また、無秩序な商品の整理方法も分かるようになりました。加えて、私は限られたスペースを最大限に活用するための方法についても上司に助言しました。その結果、無秩序な商品は徐々に秩序を持って配置されるようになり、作業効率も高まりました。上司はそれについて大変喜んでくれました。神様が人に授ける知恵は無限であることを、私は目の当たりにしました。

    あるとき、私達は商品を200箱以上購入しましたが、倉庫にはそれを置く場所がありませんでした。誰もが、これらの商品をすべて倉庫に入れることはできず、すぐさま別の倉庫を借りることも現実的ではないことが分かっており、私達全員困惑していました。私自身の能力でこの問題を解決することはできないことがはっきりと分かっていましたが、私は全く文句を言いませんでした。その代りに、神様にこの困難を委ね、「神様、私だけの能力では、これらの商品を入庫することはできません。どうかお導きください」と祈りました。祈り終わると、神様に頼って、これらの商品を整理し始めました。神様のリーダーシップのもと、私はこれらの商品を無意識のうちに倉庫に収めることに成功しました。後になり、私にはこれらの商品をどうやって倉庫に収めたのかが本当に分かりませんでした。この経験を通して、神様に頼れば、私達には克服できないものなどないことが分かりました。

     その後、上司は私を倉庫責任者に抜擢し、私は、商品の整理方法について最終決定権を持つようになりました。当初、倉庫の鍵は部外者には渡されていませんでしたが、上司は鍵を私に預けてくれました。上司はそのように大きな信頼を私に寄せてくれるようになり、それは、神様の私に対する御働きにより達成された結果でした。

    この経験を通して、私は神様の御心をより深く理解するようになりました。神様はこれらの御働きを使って神様への私の信仰を完全にしてくださいました。神様に心から頼るときは、神様は私の側で私をお導きくださり、いわゆる困難がもう困難ではなくなりました。この事実から、私は、「いかに愚かな人間でも、神様を信頼し、神様に頼る限り、未熟者でも賢く聡明になれる」ことが分かりました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?