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ディボーションノート-聖書の中身は全てが神の御言葉なのでしょうか

聖書はクリスチャンの正典、私たちの信仰の基礎です。私たちは主を信仰しているので、それぞれが聖書を持っています。私たちは頻繁に聖書を読み、宝として大切にしています。また、私たちは生活と仕事における最も重要な基準として、聖書の御言葉に従います。パウロはかつてこう言いました:「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。」(テモテヘの第二の手紙 3:16)。これには、聖書は全て神の霊感を受けて書かれていると、より一層

    • あなたがイエスの霊のからだを見る時は、神が天と地を新しくした時である

      あなたはイエスに会いたいと思うか。イエスと共に生きたいと思うか。イエスの語る言葉を聞きたいか。もしそうであれば、イエスの再臨をどのように歓迎するのか。あなたは完全に備えができているか。どのようにしてイエスの再臨を歓迎するのか。イエスに付き従う兄弟姉妹は皆イエスをよく歓迎したいだろう。しかしあなたは考えてみたことがあるだろうか――イエスが再び来る時、あなたにイエスが本当に分かるのか。あなたがたはイエスの語る全てを本当に理解するだろうか。イエスの働きの全てを本当に、無

      • 祈りの実践について(オーディオブック)

        あなたがたは日常生活において祈りに心を留めることが全くない。人々はいつも祈りを見過ごしてきた。従来の祈りはいい加減で、人が神の前でひととおりの動作をするだけだった。誰ひとり自分の心を完全に神の前に捧げて真の祈りをする者はなかったのである。人々が神に祈るのは、自分に何かあった時だけである。あなたは、今までに本当の意味で神に祈ったことがあるだろうか。神の前で痛恨の涙を流したことがあるだろうか。神の前で自分自身を知ったことがあるだろうか。神と心を通わせて祈ったことがあるだろう

        • 聖書の預言は既に実現し、成就された「ノアの日々が来た」

          ノアの時代の人類を振り返りましょう。悔い改めることを考えずに、人はあらゆる種類の邪悪な活動を行いました。誰も神の言葉を聞きませんでした。人々の頑固さと悪は神の怒りを呼び起こし、ついに大洪水の災いに人々は飲み込まれました。ノアの家族八人 だけが神の言葉に耳を傾け、生き延びられました。今日、世の終わりはすでに到来しました。人類の堕落はさらに深刻になってきています。誰もが悪をあがめます。宗教界全体は世界の潮流に従います。人々は真理を少しも愛しません。ノアの時代はすでに到来し

        ディボーションノート-聖書の中身は全てが神の御言葉なのでしょうか

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        • 聖書の学び
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        • 聖書の学び
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        • イエスの再臨
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        記事

          裕福な生活を持てば幸せになるのか

          【編集者メモ】裕福はすべての人が夢にまで願うことです。しかし、手に入れた後、それはまるで一枚の華やかな「上着」のよう、だたうわべを飾ることができ、私たちの心の中の苦痛と貧しさを解決することができないと私たちは気づきました。陳卓はかつて裕福な生活を得るために一生懸命働いたが、病の苦痛と心の空虚さから抜け出せず、苦痛と困惑の中で、神様の言葉の導きによって彼は本当の人生を見つけました。 快速ナビ 裕福な生活を得るために努力する 苦痛の根源を探し求める 金銭の誘惑から抜け出

          裕福な生活を持てば幸せになるのか

          ぶどう園の労働者のたとえー私は主の御心を理解している

          ある晩、私は神様に祈ってから机に向かい、イエス様が(マタイによる福音書20:1~16)で語られたたとえ話を読みました。その話では、天の御国が労働者を雇うぶどう園の主人にたとえられています。労働者たちがぶどう園に入るのが朝一番であれ、午後であれ、晩であれ、賃銀は同じであり、最初に来た労働者たちはこのことを知ると主人に不平を言いますが、主人はこう答えます。「自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえではないか。それともわたしが気前よくしているので、ねたましく思うのか。

          ぶどう園の労働者のたとえー私は主の御心を理解している

          正常な霊的生活は人々を正しい道へ導く

          あなたがたはまだ神の信者としての道のりのごくわずかしか歩んでおらず、未だに正しい道のりに入っていないため、まだ神の基準にたどり着くまでにはほど遠い。現在のあなたがたの霊的背丈は神の要求を満たすには不十分である。あなたがたの力量と元来人間が持つ堕落した性質により、あなたがたは常に神の働きをいいかげんに扱い、真剣に考えない。これがあなたがたの最大の欠点である。そのうえ聖霊の道を見出すこともできないのである。あなたがたのほとんどはそれを理解せず、はっきり見る事もできない。更に

          正常な霊的生活は人々を正しい道へ導く

          神について何を理解しているのか

          人々は長いこと神の存在を信じてきたが、ほとんどの人は「神」という言葉を理解していない。単にぼんやりと後について行くだけである。彼らは一体なぜ神を信じるべきなのか、あるいは一体神とは何かについてまったくわかっていない。人々が神を信じ、従うことだけは知っていても、神が何かを知らなければ、そしてまた神を理解していなければ、これは世界最大の笑い話ではないだろうか。たとえ人々が今までに多くの天の奥義を目撃しており、これまで決して把握していなかったたくさんの深遠な知識について聞い

          神について何を理解しているのか

          日々の神の御言葉「受肉の奥義(4)」抜粋117

          人が今まで成し遂げてきたこと、つまり現在の人の霊的身丈、認識、愛、忠誠、従順、そして識見は、言葉の裁きによって得られた成果である。あなたが忠誠心をもち、今日まで立ち続けていられるのは、言葉によって成し遂げられたことである。受肉した神の働きが途方もなく素晴らしいことを、人は今や理解しており、そしてそこには、人には達成できず、奥義や不思議であることがたくさんある。ゆえに、多くの人が服従してきたのである。生まれてこのかた誰にも従ったことがない人たちも、今日、神の言葉を目にす

          日々の神の御言葉「受肉の奥義(4)」抜粋117

          復活後のイエスによる弟子達に対する言葉

          八日ののち、イエスの弟子たちはまた家の内におり、トマスも一緒にいた。戸はみな閉ざされていたが、イエスがはいってこられ、中に立って「安かれ」と言われた。それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ」。イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。

          復活後のイエスによる弟子達に対する言葉

          クリスチャンの生活と証し・映画「心の鎖を解き放つ」人間は本当に自分の運命を支配しているのだろうか

          陳智は貧しい農家に生まれました。学校で教わった「知識で運命は変えられる」「運命は自分で切り開くもの」という考え方をモットーにしていました。一生懸命働きさえすれば、他から抜きん出ることができて、功績と名声を手に入れられると信じていたのです。大学を卒業すると、陳智は高給の外国貿易の仕事に就きました。しかし当時の境遇には全く満足していなかったのです。他から抜きん出るという理想を実現させるべく、彼は仕事を辞めて自分で貿易会社を興します。しかし好業績は長くは続きませんでした。経

          クリスチャンの生活と証し・映画「心の鎖を解き放つ」人間は本当に自分の運命を支配しているのだろうか

          神を信じず、その代わりに高潔にふるまい善行を行い、邪悪な行為をしなければ救いを得られるのか。

          神の御言葉による答え: …何故なら、神の導きなしには、支配者たちや社会学者たちが人類の文明を維持するためにどんなに頭を悩ませても何の役にも立たないからである。誰も人の心の中の空洞を埋めることはできない。誰も人のいのちとなることはできず、どんな社会学的理論も、心をむしばむ虚しさから人を解放することはできないからである。科学、知識、自由、民主主義、余暇、快適な暮しは、つかの間の慰めに過ぎない。これらのものがあっても、人は必然的に罪を犯し、社会の不公正を嘆く。これらのもの

          神を信じず、その代わりに高潔にふるまい善行を行い、邪悪な行為をしなければ救いを得られるのか。

          暗いトンネルの先で見た暖かな光

          主イエスの再臨を渇望する他の兄弟姉妹と同じく、私も主がいますぐお戻りになって私たちを天国に迎えられ、その祝福を享受できるようにしてくださるのをひたすら待ち望んできました。そして2006年11月のある日、私はついに主の再臨の知らせを聞きました。全能神の表す御言葉を読み、また終わりの日における神の働きに関する兄弟姉妹の交わりと証しを通じ、受肉された全能神が主イエスの再臨でいらっしゃることを認識したのです。私はその場で、終わりの日における全能神の働きを喜んで受け入れました。

          暗いトンネルの先で見た暖かな光

          違った角度から人生を見れば、人生はもっとすばらしくなる

          わたしは二枚の、憂い顔の写っている写真を見たのを覚えています。二枚の写真を上下逆さまにして二つの憂い顔を逆さに見ると、異なった視覚効果が生じ、独特な美しさも表れてきます。実は、人の一生もそうなんです。人の一生の中で苦難とままならぬことがあるけれども、もし悲観的にならないで、違った角度から問題を見るなら、そのすばらしい面を見られます。 人の一生は芝居のようだなと、人々はいつも現実生活の中で感嘆します。「芝居の中」で、さまざまな役があり、わたしたちはそれぞれ

          違った角度から人生を見れば、人生はもっとすばらしくなる

          神が義であるなら、善良な人々が脅かされ、抑圧され、苦難するのに邪悪な人々が悠々と成功するのはなぜか

          聖書参照箇所 「ある金持がいた。彼は紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮していた。ところが、ラザロという貧乏人が全身でき物でおおわれて、この金持の玄関の前にすわり、その食卓から落ちるもので飢えをしのごうと望んでいた。その上、犬がきて彼のでき物をなめていた。この貧乏人がついに死に、御使たちに連れられてアブラハムのふところに送られた。金持も死んで葬られた。そして黄泉にいて苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。そこで声をあげ

          神が義であるなら、善良な人々が脅かされ、抑圧され、苦難するのに邪悪な人々が悠々と成功するのはなぜか

          聖書預言-終末の教会の現状

          アモス書 4:6-8 「わたしはまた、あなたがたのすべての町であなたがたの歯を清くし、あなたがたのすべての所でパンを乏しくした。それでも、あなたがたはわたしに帰らなかった」と主は言われる。「わたしはまた、刈入れまでなお三月あるのに雨をとどめて、あなたがたの上にくださず、この町には雨を降らし、かの町には雨を降らさず、この畑は雨をえ、かの畑は雨をえないで枯れた。そこで二つ三つの町が一つの町によろめいて行って、水を飲んでも、飽くことができなかった。それでも、あなたがたはわ

          聖書預言-終末の教会の現状