神が義であるなら、善良な人々が脅かされ、抑圧され、苦難するのに邪悪な人々が悠々と成功するのはなぜか

聖書参照箇所
   「ある金持がいた。彼は紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮していた。ところが、ラザロという貧乏人が全身でき物でおおわれて、この金持の玄関の前にすわり、その食卓から落ちるもので飢えをしのごうと望んでいた。その上、犬がきて彼のでき物をなめていた。この貧乏人がついに死に、御使たちに連れられてアブラハムのふところに送られた。金持も死んで葬られた。そして黄泉にいて苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。そこで声をあげて言った、『父、アブラハムよ、わたしをあわれんでください。ラザロをおつかわしになって、その指先を水でぬらし、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの火炎の中で苦しみもだえています』。アブラハムが言った、『子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。そればかりか、わたしたちとあなたがたとの間には大きな淵がおいてあって、こちらからあなたがたの方へ渡ろうと思ってもできないし、そちらからわたしたちの方へ越えて来ることもできない』。そこで金持が言った、『父よ、ではお願いします。わたしの父の家へラザロをつかわしてください。わたしに五人の兄弟がいますので、こんな苦しい所へ来ることがないように、彼らに警告していただきたいのです』。」(ルカによる福音書16章19〜28節)

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神の御言葉による答え:
     この生涯で幸運を得る者は、間違い無く永遠に苦難を受けるが、この生涯で苦難を受ける者は、間違い無く永遠に恵みを受けるであろう。私はそのように予定を定め、それは誰も変えることができない。誰も私の心を変えてはならず、私の言葉に何一つ加えてはならず、ましてや私の言葉を何一つ減らしてはならない。これに違反する者は、私が必ず罰する。

     「キリストが最初に発した言葉と証し」より通読おすすめ:
神が人類を愛しているのなら、なぜ神は災いを起こし、神を否定し抵抗するすべての邪悪な人々を殺すのか。
私の見解では、どの宗教も善良であることを教えている。それは、どの宗教に従おうとも、誠実であり邪悪な行為をしない限り救いを得られるということか。

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