苦難を経験するのは、美しく咲くためである

    果てしのない砂漠で、エメという名の花は咲いています。どの花も赤、黄、白、藍の四色があります。この花のために、砂漠の景色が美しくなりました。しかし、エメが美しく咲くまでにどのくらいの苦難を経験したかを知る人は少ないです。

     一般的に、幅広い根系を持つ植物だけが甚だしく水に欠けている砂漠でよりよく生存することができます。ところが、エメは一つの根しかありません。十分な水分と養分を取るためには、エメは絶えず根を土壌の深い所に下させるしかありません。それには、長い過程が必要です。この長い過程が終わるまでに、少なくとも五年の時間がかかります。この期間に、エメは孤独、寂しさと烈日、狂風……に耐えなければなりません。エメはいつも激しく揺れ、体じゅうが傷だらけになりました。しかし、あるうららかな日で、それは静かに咲いて、花としての使命を果たし、自分のあるべき価値を実現しました。

    安逸な生活の中では、強い命が容易に生まれません。苦難の背後には、往々にして神の御心が隠されています。

苦難を経験する

    箴言第17章3節でこう書かれています。「銀にはるつぼ、金には炉、心を試すのは主」。

    モーセは自分一人で荒野に入りました。一般の人の考えている、生存できない環境の中で、モーセは神に依り頼んで、四十年生活しました。苦しい生活のゆえに、彼は何事にも神に依り頼むことを学びました。そのため、神に対する彼の信仰はますます大きくなりました。荒野から出てきて神の委託を受けた後、彼は目の前に海があり、エジプトの軍隊が後ろから追ってくるという危険な状況に直面しても、全然恐れませんでした。彼は神の導きに依り頼んでイスラエルの民をエジプトから導き出し、神の委託を遂行しました。

     今あなたが苦境にあるなら、不平を言ってはならず、悲しみ憂えてはならず、また逃避してはなりません。なぜなら、苦境を経験する過程はまさに、わたしたちが命のために養分を取る過程です。それは、砂漠で常に暴風と砂あらしがあっても、命の強い花が依然として咲くのと同じです。生活の中でわたしたちがどんな圧力、悩み、苦境に直面しても、その中に神の許しと御心があることを信じるべきです。神は、わたしたちが逆境の中で神に祈り、依り頼むことを学ぶことを望んでおられます。神の導きに従い、神の言葉を実行するなら、わたしたちは砂漠の花のように苦境を乗り越えることができ、しかも神はモーセを導くのと同じように、わたしたちを導いてくださいます。こうして、わたしたちは苦難の中で成長し、ついにはわたしたちの人性が成熟し、わたしたちの命が強くなります。いつか、わたしたちが神のみわざを証しし、神の救いに報いることができる日がきっと来ます。その日になったら、わたしたちの命のあるべき価値が実現し、被造物として果たすべき本分も果たされました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?