神の導き-誘惑に打ち勝つための2つの秘訣を教える

    【編集者メモ】この社会には、邪悪な風潮がはびこり、私たちはいつも誘惑に負けて、罪を犯さずには生きることができません。その結果、私たちは神から忌み嫌われ、霊が暗くなっています。ならば、私たちはどうすれば誘惑に打ち勝って、神の導きと加護を受け続けることができるのでしょうか。

第1に、いつも神に祈りを捧げ、神の御前で生きることで、積極的に誘惑から距離を置く
この物質主義で、お金中心の世の中、特に高級ホテルや高級レストラン、カラオケ、その他の娯楽の場はサタンの誘惑で満ち溢れています。罪に打ち勝つ力を持たない私たちは、富と権力を持つ人々をとても羨ましがり、彼らがそういった場所で裕福な生活を満喫している様子を見ると、大金を稼いで彼らの仲間入りをしたいという欲望が沸いてきます。その結果、お金とそれがもたらす物質的快楽が私たちの心を完全につかみ、私たちの心は神からどんどん離れて行ってしまいます。これ故に、私たちクリスチャンは、神の御前で暮らせるように、そして私たちを誘惑する人々、出来事、物事から前向きに距離を置いていられるように、常に神に祈りを捧げて、私たちをお守りくださるようにとお願いするべきなのです。これは霊的背丈の低い人々は特に行う必要があることです。これについて聖書にはこう書かれています。「賢い者は災を見て自ら避け、思慮のない者は進んでいって、罰をうける。」(箴言22:3)そして神もこう仰いました。「あなたの心を外に引き付けるものに触れてはならない。また、神からあなたの心を引き離す可能性のある人々と接してはならない。あなたの心が神に近付くのを邪魔する可能性のある物事は何であれ、全て捨てるか、近付かないようにしなさい。その方があなたのいのちにとってより有益である。」この御言葉より、誘惑から積極的に距離を置くことは賢明な選択であることが分かります。

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ヨブを例に挙げてみましょう。誰もが知ってのとおり、彼は神を恐れ、悪を避けました。彼は莫大な富に加え、山一面を覆うほどの羊と牛を持っていましたが、常に神の御前で生きていけるようにと身勝手なことはしませんでした。敬虔な心を持っていた彼は、神を怒らせることを不安に思い、頻繁に捧げ物をしました。それに、彼は肉の快楽を楽しもうと自分の富を利用することもなく、息子や娘たちと酒宴を供にすることもありませんでした。彼は神を恐れ悪を避ける道を歩むことだけを貫いたのです。このようにして、ヨブは私たちが従うべき良い模範を示してくれました。

第2に、サタンの策略を見抜いて誘惑を振り払うことができるように、神の御言葉に従って物事をとらえ、神の御心を求めるようにする
サタンはいつどこにいても私たちを誘惑して私たちの生活を妨害することを楽しみます。ならば、誘惑される時、私たちは何をしてそれに打ち勝てばよいのでしょうか。『いのちの供給ための説教集』にはこのように書かれています。「これらの誘惑や魅惑を拒むには何を備えていなければならないか?真理を備えていれば、あなたはこれらのものが極めて明確に見えるでしょう。この問題の本質がはっきり見えてからは、自分の行動が他人にどのような害を及ぼすのかが分かり、他の人がどのように心が傷つくかが分かり、自分がどれほどその人の人格を破壊したかが分かります。そして、これらの事柄を自覚すれば、あなたはそれらを引き起こすような行動を取らなくなるでしょう。こうした思考や考えが頭をよぎっても常に拒むことができます。それらに心を動かされることはないため、関心を持つことも気に留めることもないでしょう。」この言葉から、神の御言葉に従って物事をとらえることは非常に大切であることが分かります。神の御言葉を読むことに集中し、それによって真理を理解する場合に限って、私たちは従うべき道を手にするのです。主イエス様はこう仰いました。「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネによる福音書14:6)真理は神から出るものです。神の御言葉は私たちの生活の原則として私たちの生活を導いて下さいます。なので、私たちはもっと神の御言葉と御心を理解する努力をするべきなのです。そうすれば、私たちはサタンの策略を見抜くことができるようになります。例えば、私たちが主のために誠心誠意、努力をしている時に、親戚や友人が突然大金を稼げる仕事の話を持ち出してきて、一緒に行こうと私たちを誘ってくるとします。しかし、それに乗ってしまうと、教会の集会に参加したり、教会の任務を果たす時間がなくなってしまい、神との正常な関係が損なわれてしまいます。そのような時は、神の御言葉を読み、そして神の御心を求めて、何を追い求めることに最も意味があるのか、そしてそれをどのように選択すれば良いのかを理解する必要があるのです。お金の誘惑に関する見識を持つことができれば、それを振り払うことができるでしょう。主イエス様はこう仰いました。「神の国にはいるのは、なんとむずかしいことであろう。…富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい。」(マルコによる福音書10:24~25)「人が全世界をもうけても、自分自身を失いまたは損したら、なんの得になろうか。」(ルカによる福音書9:25)

神の御言葉から、お金は世俗的な物であることが分かります。私たちはその仕事からより多くのお金を稼ぎ、肉の快楽をさらに楽しむことができるかも知れません。しかし、それが真理の追求を遅らせて、私たちが創造物としての本分を尽くすことに影響を及ぼすとしたら、私たちが最終的に神に認めていただいて、祝福を受けるということはないでしょう。また、お金を追い求めていたら、私たちは神から離れてします。更にひどい場合は、一日中お金稼ぎに没頭して、自らの健康を損なってしまう人もいるでしょう。人によっては主を信仰し続ける熱意を失ってしまい、お金を益々稼ぐにつれて肉の快楽に夢中になり、自らを破滅させてしまうこともあるでしょう。私たちは、こういった有害な行動を目にしたら、その誘惑を自然と振り払うようでなければいけません。さらに、私たちがお金を欲しがることやお金を追い求めるようにと親戚や友人たちに誘惑されると私たちはそれついて行ってしまうということをサタンは知っており、私たちはそれを明確に認識しておく必要があります。サタンは常に私たちの弱点を突いてきます。私たちはこの内外からの攻撃を受ける中で、気を付けていなければいとも簡単にサタンに捕らえられてしまうのです。これについて、聖書にはこう書かれています。「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。」(ペテロの第一の手紙5:8)この物質主義の世の中で、サタンは様々な誘惑を使って私たちをおびき寄せようとしてきます。私たちは落ち着いて真理を求め、神の御言葉に従って物事をとらえなければ、サタンの誘惑に打ち勝つことはできないのです。

上述したこの2つの秘訣が、誘惑から離れ、それに打ち勝ち、そして主の道を歩む上で、あなたのお役に立つことを願っています。

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