富と名声の沼を歩いて渡る

    私は騒がしい道を歩きながら行き来する人たちを見ていると、激しい感情に圧倒されました:「人生は短いのに、私たちは一体何のために生きているのかしら?私たちはいわゆる理想とキャリアを求めながら家族を食べさせるために走り回っているわ。喜びと悲しみを沢山経験した後、成功を収めた人や失敗に終わった人を含め、生きる意味を理解できた人はいるのでしょうか?」

    一度私も、素晴らしい人生を手にする夢を持ちながら、自分の理想を根気強く追い求め、富みと地位の間を行ったり来たりしていたことがありました。
   思い返せば、悲嘆しか感じたことがありませんでした…

富と名声の沼を歩いて渡る-1

    私は二十歳だった時に貧乏だった夫と結婚しました。結婚した後、私たちは大変な生活を送りましたが、私は夫が幸せにしてくれると信じていました。他の人たちから見下されないようにと、私たちは一生懸命に働き、いつの日か名声と富を手に入れてもっといい生活が送れることを思い浮かべていました。しかし、この苦労を通じて私が本当に得たものは苦難、辛さ、虚しさ、そして無力感のみでした。

    この物質主義社会で自分たちの地位を確立するため、私の夫と私はビジネスでかなり苦労しました。長期間続いた過労と不安が原因で、私は神経性の頭痛を患い、ほとんど睡眠がとれなくなってしまいました。しかし、私の根強い努力はついに報われました、私たちは30平方メートルの家を手にしたのです。しかし、この喜びと満足感は長続きしませんでした。それは他の人たちの家と比べると、我が家は小さ過ぎたからです。こうして、私たちは更に一生懸命働いて、後に広々として明るい家に引っ越しました。その時、私はとても満足で幸せでした、なぜなら私はやっと以前のように劣等感を感じることなく胸を張って歩けるようになったからです。私はやっと夢にまでみた生活を手にしたと思っていましたが、他の人たちが大きなマンションに住んでいたり、車を運転しているのを見ると、心の中で少し気が転倒し、そのような生活のみ意義があると思いました。自分たちの欲望を満たすため、私の夫と私はビジネスに打ち込みました。しかし、私は最終的に自分たちの所持品を全て失い、良くなり始めていた私たちの生活も降り出しに戻ってしまうとは予想もしていませんでした。人々の冷たい軽蔑のまなざしを見ていると、私は悲しくなりました。そして、私は自分にこう約束しました:「私は失敗には決して屈しないわ。私は人から尊敬されるようにより良い生活を求めて努力する必要があるのよ。」私は復活を遂げるため、積極的にビジネスチャンスを求めました。私たちは眠れない夜を多く過ごし、精神的にも、肉体的にも疲れ果てていました…

    私がちょうど夢にまで見た生活を手にする間際まで来ていた時、良い時も悪い時も常に私と一緒にいてくれた夫が浮気をしたのです。この突然のショックは私の心を引き裂くものでした。私は父親に心配させたくなかったのでこのことは伝えず、兄が自分の夫を肉の成すがままに扱うことも心配になったので、このことは兄にも伝えませんでした。私はこれよりも自分の家庭内スキャンダルが人に知れたらそれが皆の間で噂になって自分の名が汚されることを心配しました。私はひどく落胆してしまい、生きていくのが嫌になりました。しかし、子供のことを考えた私は死ぬことを諦め、ただ単に憤慨と涙を静かにグッと抑えました。

    私は幾度に渡って空を見上げ、ため息まじりにこう嘆きました:どうして私はこんなに運が悪いのでしょう?どうして私は裕福であっても、貧乏であっても、苦しい思いをするのでしょう?そして、人々は何のために生きているのでしょう?

    神が表される真理が私の疑問に対する答えを明らかにされています。神はこう仰ります:「サタンは名声と利得により人間の思想を支配し、人間が名声と利得しか考えられないようにする。人間は名声と利得のために努力し、名声と利得のために試練を乗り越え、名声と利得のために恥辱に耐え、持てる全ての物事を犠牲にし、名声と利得を獲得して維持するためにすべての判断と決断を下す。このようにして、サタンは目に見えない足かせを人間にかける。こうした足かせが人間の身体に付けられ、人間はそれを外す力も勇気も無い。したがって人間は、無意識のうちにこれらの足かせをかけられた状態で重度の困難の中を歩んでゆく。この名声と利得のために、人間は神から離れてゆき、神を裏切るようになる。人間は世代ごとに邪悪になり、陰鬱になるので、人間はこのようにして世代を追うごとにサタンの名声と利得により破壊されてゆく。」 (「唯一の神自身6」より)。「人間は、この時点になって初めて、この世に現れた時、最初に理解すべきことは、人間がどこから来るのか、何故生きているのか、人間の運命を支配するのは誰か、人間の存在に施され、それを統治するのは誰であるかを知る。こうした物事が人生における真の財産であり、人間の生存に不可欠な基盤であって、自分の家族を養う方法や、富や名声を得る方法を知る事でも、人々よりも卓越した存在となる方法、一層豊かに生活する方法を知る事でもなく、ましてや他人を超越し、競争に勝つ術を覚えることなどでは無い。人間が生涯をかけて覚える生存のための様々な技能により、物質的な快楽を豊富に得ることが出来るものの、そうした技能は人間の精神に真の平和と慰みをもたらすことは決して無く、むしろ継続的に人間に道を踏み誤らせ、人生の意味を知る機会を全て失わせ⋯」(「唯一の神自身3」より)。 神の御言葉を読み、私は富と名声はサタンが私を縛りつけるために利用していた単なる拘束手段であり、私はこれらを手にしようと常に奔走していたことに気が付きました。私は人々に自分を高く評価させて、より多くの、そしてより大きな物質的快楽を手にするために全力を注ぎ、多くの犠牲を払っていたのです。私の夫と私は貧しかった頃、自分たちの運命を変えようとかなりの苦労を費やしました。私たちがやっとの思いで裕福になった時、私の夫はそれでも堕落していきました。多くの浮き沈みを経験した後、私はこう理解しました:物理的な富がもたらしてくれたのは一時的な満足感と幸せであり、心で感じる真の和みではなかったのです。私は物理的な安楽を手にした時ですら、依然として虚しさと無力さを感じ、沢山苦しい思いをしました。その理由はと言うと、それはサタンが毒を用いて私を操りながら私を堕落させて痛めつけていたからなのです。神は私たち人間を創造され、今までずっと私たちを御導きくださりました。世の終わりに、受肉された神は真理を表して私たちに新たないのちを与えるために来臨されました。私たちは真理を追い求め、そして神の御言葉を貫いてのみ、サタンによる妨害と束縛から抜け出して、私たちの生きる道を見つけることができるのです。その時、私は真理を追い求めて意義のあるいのちを貫くという極めて稀なチャンスを大切にすることを決意しました。

    神はこう仰っておられます:「正常な人、神への愛を求める人として、神の国に入り神の民の一人になることは、あなたがたの真の未来であり、最高の価値と意義を持つ生涯である。あなたがたより祝福されている人はいない。なぜわたしはこう言うのか。神を信じない人々は肉のために生き、サタンのために生きるが、今日あなたがたは神のために生き、神の心を実行するために生きるからである。あなたがたの生涯が最大の意味を持つとわたしが言うのはこのためである。神によって選ばれた人々のこの集まりだけが、最も意味のある生涯を生きることができる。地上の誰もそのような価値と意味のある生涯を生きることはできない。」(「神の最新の働きを知り、神の歩みに従う」より)。3年間の苦労と失敗の末、私は自分の虚しさ、名声、そして富を欲する利己的な欲望を脇に置き、自分の運命を神の御手に委ね、これ以上それを自らの手で変えるということに大それた期待を沿えるのを止めることを学びました。そして、私はかつてない安堵を感じ、長年悩まされてきた病気も治療せずに完治したのです。さらに、神の御言葉の備えを受け、私は普通の人間性を貫き、寛容であり許す気持を持つべきであると理解し、それ故に私は自分の夫を許してあげました。私はまた、実生活において遭遇するものは神が用意してくださっているもので、私が自分の性質を変えて、神を知るための機会であることも知りました。私は神に頼りながら真理を実践する度に、穏やかな気持ちと平安を感じ、神のみが私たちのいのちの源であることに気が付きました。神は、私が普通の人間性を貫き、そして神の高潔さと温厚さを知ることができるようにしてくださっているのです。神への信仰において、私は真理の探求と実践を通じ、もはや虚しく感じることはなくなりました。なぜなら、私は真理を実践することはサタンに背くことであり、創造主からの要求を満たしているということであり、神の基準に沿った人間になれているということだと知っているからです。私はこのように探究すればするほど、増々確信を持って平安を感じられるようになり、このように生きれば生きるほど、増々気骨と尊厳を持てるようになります。私は神に立ち返る道を歩んでいるように感じています。私は肉やサタンのために生きるのを止め、その代りに全能神に注意深く従い、全能神のために生きて行きます。なぜなら、全能神の本質は神性で、美しく、誠実で、永遠に愛して礼拝するに値するからです。

    私は依然として群衆と交わってはいますが、今は開放感と平安を感じており、私はまた、真理を求め神を知る、自分の創造物としての本分を尽くす、そして真のいのちを貫くといった違った目的を持ってもいます。これは私が心で感じる最高の幸せです。人生を通して起こった詳細を全て思い返すと、私は神に対する心からの感謝の意と称賛を口に出さずにはいられません。

神に祈るのは、神に祈るこの3つの点を理解することはとても重要だ

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