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大丈夫、安らかです・・It Is Well With My Soul

預言者エリシャとシュネムの女

紀元前9世紀に、神の人と呼ばれて尊敬されていた預言者エリシャがいました。

ある婦人は、エリシャが自分の町(シュネム)に来るたびに、精一杯のおもてなしをしていました。

エリシャの預言どおり、彼女は初めての子どもを授かったのですが、その子は成長したある日、急に死んでしまいます。

彼女がすぐに神の人エリシャのもとにかけつけ、心の嘆きをぶつけたところ、彼女の必死の願いはかなえられ、その子どもは息を吹き返したのです。

大丈夫、安らかです

ところで、エリシャは彼女が急いでやってくるのを見た時、しもべにこう言っています。

すぐ走って行って、彼女を迎えて言いなさい、「あなたは無事ですか。あなたの夫は無事ですか。あなたの子供は無事ですか。」
(列王下4:26)

それに対して、彼女はただ「無事です」と答えています。

おそらく、一刻も早くエリシャと話したかったので、手短にそう答えたのでしょう。

あるいは、その言葉の中には、神への信頼の気持ちがいくらかあったのかもしれません。

「無事」は、他の翻訳聖書では「安らか」「大丈夫」「変わりない」、また英語では「It is well」などと訳されていて、申し分のない、満足の行く状態を表しています。

この言葉がタイトルに含まれた賛美歌があるので、紹介させていただきます。

It Is Well With My Soul

「私の魂は安らかです」といった意味で、日本語では、「安けさは川のごとく」や「静けき河の岸辺を」というタイトルで発表されています。

何年も前、辛い出来事があった時に、私はこの賛美歌にずいぶん助けられました。

1番の歌詞を翻訳すると、こんな意味になります。

♪ 平安が川のように訪れる時も
悲しみが大波のように押し寄せる時も
私の置かれた状況がどんなものであれ
あなたは私がこう言えるようにしてくださった
大丈夫、私の魂は安らかだ、と

先ほど書いたように、この「安らか」には、「無事、満たされている、申し分のない状態だ」という意味も含まれています。

この賛美歌が生まれた背景

作詞者のホレイショ・スパフォードは、弁護士かつ不動産投資家として成功していましたが、ある頃から次々と悲劇に見舞われました。

まず、息子を病気でなくし、シカゴ大火(1871年)では経済的に大きな打撃を負いました。

その後、スパフォードは家族を元気づけるために、皆でヨーロッパへ旅することにしましたが、急な仕事が入ったため、妻と娘たちを先に送り出したところ、その船が事故にあって、4人の娘全員を失いました。

スパフォードは、胸が張り裂けるような思いだったに違いありません。

もしかすると、シュネムの女のように、他の人たちから「大丈夫ですか」と尋ねられ、「大丈夫です」と答えたかもしれませんが、神に対しては、涙を流して心の嘆きをぶつけたことでしょう。

しかし、妻を迎えに行く船上で、不思議なことに、彼の心は主の平安と慰めに満たされました。

「悲しみが大波のように押し寄せ」ていたけれど、その深い闇の中にも主が共におられることを知り、光を見いだしたのです。

シュネムの女の場合とは違い、スパフォードの娘たちが戻ってくることはありませんでしたが、ふたたび天国で会えるという希望がありました。

この賛美歌は、そんな経験から生まれたのです。

慰めに満ちた神

私がスパフォードの立場なら、これほどの言葉が出てきたかどうか、分かりません。

一つ分かるのは、この賛美歌が試練の中にあった私を慰めてくれたこと、そして、他の多くの人の慰めとなってきたことです。

大きな試練を味わった彼の言葉だからこそ、心に響くものがあるのでしょう。

そして、悲しみの時、神も私たちと一緒にいてくださるという希望、一緒に苦しんでくださるという慰めがあります。

たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。
(詩篇23:4)
あらゆる慰めに満ちた神・・。神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。
(2コリント1:3-4 新改訳2017)

人生の大波が押し寄せるのは避けられなかったとしても、慰めに満ちたこの神に心の嘆きを告げ、悲しみも苦しみもすべてあずけるなら、スパフォードのように、「大丈夫、私の魂は安らかです」と言える時が来ると信じています。


「安けさは川のごとく」


「It Is Well With My Soul」

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