慰めと救いを待ち望む
メリー・クリスマス! 今年のクリスマス・シーズン、皆さんはどうお過ごしだったでしょうか。
イエスの誕生物語(ルカ1~2章とマタイ1章)には多くの人物が登場します。この時期になると、私はそれぞれの人にとって、イエスの誕生はどのように見えたのだろうと考えるのですが、今年は、特にシメオンのことをよく考えていました。
シメオンは祭司や律法学者や議員のような有力者ではなく、ごく普通の人でした。しかも、けっこうの老人のようです。ただ、神とのつながりが強く、神の聖霊の導きにゆだねていたことがわかります。
当時のイスラエル民族(ユダヤ人)は、政治的には、ローマ帝国に支配され、多くの苦しみを味わっていました。また、宗教的に言っても、マラキを最後に、何百年もの間、神からのメッセージを伝える預言者が遣わされておらず、暗闇の中にいました。まさに、イスラエル民族は神からの慰めと救いを必要としていたのです。
「主のつかわす救主(ギリシャ語でキリスト)に会うまでは死ぬことはない」と聖霊から示されていたシメオンは、いったい何年、あるいは何十年、その約束の実現を待ち続けたことでしょう。救い主の到来についての預言自体が、もう何百年も前に与えられたものです。
そんなある日、シメオンは聖霊に導かれて、神殿に入っていきました。今日、何か特別なことが起こると示されたのかもしれません。
イエスの誕生から40日が過ぎた頃、ヨセフとマリアは律法の定めに従って、神殿にやってきました。これは特別なことではなく、他の誰もがするような普通のことです。身なりも普通の庶民のもので、他の多くの親子連れと違いはなかったことでしょう。でも、聖霊に導かれていたシメオンには、その赤ん坊が救い主であるということがすぐにわかりました。
イスラエル人の多くは、自分たちが救い主によってローマから解放されることだけを考えていましたが、シメオンは、この救いは万民(全人類)のためであり、イスラエル民族だけではなく異邦人(イスラエル人以外の国民)をも照らす光であると述べています。
シメオンはさらに、イエスが多くの人からの反対を受け、それが母マリアにとっては辛い経験となることを預言しており、それは確かに、イエスの生涯において実現しました。(ルカ2:34-35)
シメオンの言葉は、旧約聖書(特にイザヤ書)にある救い主についての預言を思い起こさせるものばかりです。きっと、それらの預言をよく知っており、救い主について、ほとんどの宗教指導者よりも正しく理解していたのでしょう。
こうして、長らく待ち望まれていた、世界に光をもたらす救い主キリストが来られました。それは、シメオンにとって、もう何も思い残すことはなく、いつでも安心してこの世を去ることができると感じるほど、嬉しい出来事でした。
人生は楽なことばかりではありません。でも、私はシメオンのことを考えると、どれだけ絶望的な状況にあっても、希望を失うことなく、神の約束と私たちへの愛を信じて、その状況からの救いを待ち望むことが、生きていく上でどれだけ大切なことかと思わされるのです。
その状況からの救いを目にするのは、私たちが願っているほどすぐにではないかもしれませんが、シメオンのように聖霊の導きにゆだね、神が完璧なタイミングでそれを見せてくださると信頼できますように。
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