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神の身体と神の愛(耳と口)

=神とのコミュニケーション=

週末に妻の耳が少し聞こえづらくなくなり、原因は分かっているので心配はないのですが、今日は耳鼻科で処置してもらう予定です。

普段はあまり考えないけれど、耳がちゃんと聞こえることは素晴らしいですね。

数ヶ月前の記事に書いた、こんな言葉を覚えていますか。

私たちが誰かを愛する時(恋人であれ、家族や友人であれ)、それを行動や仕草で表現しますね。
神には肉体がありませんが、私たちへの愛や配慮を私たちに分かりやすく説明するために、聖書は、神が人間と同じような身体の部位を持っておられるかのように語っています。

神の身体と神の愛(顔と目)

今回は、耳と口について見ていきたいと思います。

どんな関係においても欠かせないものが、コミュニケーションであり、それは神と人間との関係においても同様だからです。


神の耳

相手に耳を傾けることは、愛のこもったコミュニケーションの大切な部分です。

聖書の中でも特に詩篇には、神が私たちの祈りに耳を傾けてくださることが多く書かれています。

わたしは耐え忍んで主を待ち望んだ。主は耳を傾けて、わたしの叫びを聞かれた。

(詩篇40:1)

そのような経験が積み重なると、また今回も耳を傾けてくださるに違いないと、確信を持って祈れるようになります。

神よ、わたしはあなたに呼ばわります。あなたはわたしに答えられます。どうか耳を傾けて、わたしの述べることをお聞きください。

(詩篇17:6)

神は、私たちが祈る前にですら、心の声にも耳を傾けてくださいます。

わたしの舌に一言もないのに、主よ、あなたはことごとくそれを知られます。

(詩篇139:4)

ヘブル人がエジプトで奴隷にされて苦しんでいた時、誰も気にかけていないように見えましたが、彼らの叫びはちゃんと神の耳に届いていました。

主はまた言われた、「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを、つぶさに見、また追い使う者のゆえに彼らの叫ぶのを聞いた。わたしは彼らの苦しみを知っている。」

(出エジプト3:7)

そして、神はモーセを送って、彼らを解放されたのでした。

神は私たちの口から出る言葉も、心の中の声も、すべてしっかりと聞き取り、心にかけてくださいます。

しかし、私たちが何かお願いしたい時にだけ祈るような、都合のいい関係にならないようにしたいものです。

人間関係で考えると分かりますが、お願いがある時だけ連絡してくる人と深い関係を築けるでしょうか。

祈る時には、お願いだけではなく、私たちが親友に話すようなことを、何でも神に話してみるといいでしょう。

何か悪いことをしたなら謝ればいいし、最近神がしてくださったことを感謝するのも大切です。

神にとって、私たちの祈りは昔の神殿でたかれていた薫香のようなものであり、神はそれをかいで喜ばれます。

わたしの祈を、み前にささげる薫香のようにみなし、わたしのあげる手を、夕べの供え物のようにみなしてください。

(詩篇141:2)

私たちが神の耳に、また神の鼻に届ける祈りは、どんな香りを放っているでしょうか。


神の口

コミュニケーションは一方的なものではなく、私たちも神の言葉に耳を傾ける必要があります。

神から私たちへの愛は、言葉による導き、慰め、励まし、約束などの形でも示されます。

また、その言葉によって、神は私たちを養い、私たちの魂を生かされます。

イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある。」

(マタイ4:4)

耳を傾け、わたしにきて聞け。そうすれば、あなたがたは生きることができる。

(イザヤ55:3)

聖書にある神のメッセージであれ、私たちに個人的に語られる言葉であれ、それが時に厳しいものであるように思えることもあります。

しかし、神は愛であり、神の言葉はすべて、愛の心から発せられています。

励ましになり、心地よく響く言葉も、心を突き刺すけれど、私たちが正しく歩むのを助けてくれる言葉も、すべて神の愛の現れです。

神は耳を傾けることによって、また、口の言葉によって、私たちに愛を示されます。

私たちも、神に対して同じことをしているでしょうか。

それとも、お願いするばかりで、コミュニケーションの他の側面を怠っているでしょうか。

神とどれだけ深い関係を築けるかは、私たちがこのコミュニケーションをどれだけ大切にするかにかかっています。



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