見出し画像

愛は、あきらめない(横田早紀江さん)

人生は楽しいことばかりじゃないと分かってはいても、苦しい闘いが長らく続くと、あきらめたくもなります。

それでも、その闘いが、心から愛する誰かを助けるためである時、あきらめずに進み続ける力が与えられるようです。


愛する娘が行方不明に

中学1年生だった横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されて、明日(11月15日)で45年になります。

しかし、母親の早紀江さんは、愛する娘さんが帰ってくることを信じて、今もあきらめずに祈り続け、活動を続けています。

早紀江さんの手記『愛は、あきらめない』を読むと、その原動力は、娘さんへの愛であると共に、聖書に見いだした希望、そして神への信仰であることがよく分かります。

1977年にめぐみさんが行方不明になった時、一体何が起こり、どこへ消えたのかを説明できる人は誰もおらず、早紀江さんは苦しみに打ちひしがれました。

そんな中、近寄ってきては、「お金を積めば居場所が分かる」とか、「因果応報だ」「先祖のまつり方が悪いからだ」などと心ないことを言ってくる人たちもいました。

聖書に見いだした希望

早紀江さん自身も、もしかすると家出なのかもしれないと思って、自分を責めたりもしましたが、友人がある言葉を聖書から教えてくれました。

この人が罪をおかしたのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。

(ヨハネ9:3 新改訳)

これは、イエスの弟子たちが生まれつきの盲人を見て、障害の理由を尋ねた時の、イエスの答えです。(この後、盲人は癒やされています。)

早紀江さんは、娘が行方不明になったのは、本人のせいでも、両親のせいでもないという慰めと平安が与えられたそうです。

また、別の友人から贈られた聖書で、勧められたヨブ記を読み始め、苦難の中にあっても神に信頼するヨブの姿に深い感動を覚えました。

「この時が、神ご自身が私の心にまっすぐに光を差し込んでくださった最初の時でありました」と早紀江さんは語ります。

それから「聖書を読む会」に参加するようになり、めぐみさんが消息を絶ってから7年後の1984年、教会で洗礼を受けました。

「この事件がなければ、キリストに出会うこともなかったでしょうし、クリスチャンになることもなかったでしょう。私は、こうして長い年月、神様に愛されて訓練していただいて今日があることを、心から感謝しています。」

物事が動き始める

めぐみさんがいなくなって20年後の1997年、北朝鮮に拉致されていたことが判明したことで、夫の滋さんが代表となって拉致被害者家族連絡会を結成してからは、その懸命な働きかけによって世論が動き、さらに日本政府も動かされました。

2002年に小泉純一郎首相が訪朝して日朝首脳会談が開かれた際、北朝鮮はなんと拉致の事実を認めて謝罪し、さらに拉致被害者5人の帰国がかなったのです。

そして、2014年には、めぐみさんの娘(横田夫妻の孫)であるウンギョンさんとの面会が実現しています。

その数年後、横田滋さんも洗礼を受け、それは早紀江さんにとってみれば、夫婦で心を合わせて神に祈れるということであり、この上なく心強く喜ばしいことでした。

滋さんは2020年に天国へ召され、めぐみさん自身の帰還はまだかなっていませんが、神のわざは確実に現れており、それが早紀江さんに希望を、また祈り続ける力を与えています。

私たちも、めぐみさんや他の拉致被害者全員が無事に帰還して、拉致事件が完全に解決するよう、あきらめずにお祈りしましょう。

早紀江さんの支えとなった聖句

早紀江さんが通う中野島キリスト教会のホームページには、前述のヨハネ9章3節以外にも、早紀江さんの入信前後に支えとなった聖句が載せられていますので、紹介したいと思います。(すべて、新改訳聖書の旧版より)

私は裸で母の胎からでた。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。

(ヨブ1:21)

苦しみにあったことは、私にとって幸せでした。私はそれであなたのおきてを学びました。

(詩篇119:71)

私の魂は黙って、ただ神を待ち望む。私の救いはただ神から来る。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。

(詩篇62:1,8)




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?