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【皮の衣】は神の親心

親の教育的呪縛から、逃れられなければ、判断基準はなかなか変わりませんね」  「そうだね。親は子供によかれと思って、そのような教育を普通する。そして、それはある程度は良いことだ。でも、子供は、それによって自分を縛ってしまう。呪縛してしまう。特に幼い時に覚えたことは、大人になるとまるで、サイズが小さくなった鎧兜のようなものだ」  「なるほど。小さい時はそれで自分を守れたけれど、今となっては窮屈で、逆に自分を苦しめているようなものですね」  「そうだ。だから、その不要になった鎧兜を脱ぐ必要がある。でも、それは、親が子供に対して、外は危険がいっぱいだ。外は危険な敵ばかりだ。だから、ちゃんと着ておきなさいと命じたものだ。だから、なかなか脱ぐ勇気がでない」  「じゃぁ、どうすればいいんですか。笑雲先生」  「そう、聞いた弟子がいたのだろうな。イエスの次の言葉は、その説明になっている」  「そうですか、では、次に行きましょう」

宝彩有菜のトマス福音書解説(全編)
天の鳥と揺れる葦

神である主も、アダムに皮の衣を作って彼らに着せられた

21 神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作って彼らに着せられた。

新改訳2017 聖書
創世記3章

実相世界から、概念の世界へと没入してしまったアダムに
一時の「正しい心」(皮の衣)を持たせたのである
それはまさに親心と言えるだろう

だが、この概念の世界で、ある程度過ごしたら
その皮の衣を脱ぐ必要がある

これらのことを弟子に教えているのがトマス福音書なのだと著者は言う

宝彩有菜のトマス福音書解説(全編) 天の鳥と揺れる葦: トマス福音書解説(全編)
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