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マーヤという概念

私自身のスピリチュアルな探求において、【マーヤ】という概念に囚われ過ぎていたということに、昨晩見た夢で気付いた。

  • この世はマーヤなんだから、意味がない

  • 動揺することがあっても、「所詮マーヤだから」で片付ける

  • 自分の五感で感じることは全てマーヤである

と、いった具合に

そしてこれらマーヤを、「何の意味も無いもの」だと捉えていた。

マーヤを無意味なものと解釈していた視点を
違った視点があるということに気付き、

マーヤは確かに夢や幻ではあるが、
そのマーヤのストーリーから学ぶことは確かに存在する
マーヤでありながらも、
そこには経験という見えないものが在る

昨晩見た夢によって、とても大切なことを気付かせてもらえたのだ。

昨晩の夢はどんなだったかと言うと
こういった具合に↓

なんのこっちゃ

要するに、意味がありそうな内容の夢であっても
それは【私】が見ている夢ですよ、と。

その夢(マーヤ)の中に【あなた】は居て
【あなた】は何を感じ、何を学びましたか?

と、問われたのだと
夢から覚めた私はそんな風に受け取った

【私】の視点からは夢(マーヤ)であっても
マーヤの中に居る【あなた】にとっては
自由意思があり、感動や学びが在ると思って生きている

一っ飛びに【あなた】から【私】にジャンプしようとするのではなく
まずは【あなた】にできる最大限のことをやり尽くしてみよう
と、舵を切る背中を押してもらった

マーヤ(存在しない幻)であるけど、体験は存在する

目に見えないものは在る

スピリチュアル難民と言うか
今日はマーヤの概念そのものから解放された日🎊