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強く生きる

かなりお久しぶりになってしまいました。

新しい土地での生活。

障害年金の申請。

自分が虐待サバイバーだったこと。

苦手だった歯医者の克服。

自炊の日々。

近隣の生活音によるストレス。

色々なものがありすぎて、新しい土地に引っ越してきてからバタバタと。

体調はわりと安定しています。

以前と変わらず、咳き込んでたりはするのですが…

何回耳鼻科に通ってもなかなか良くならず…

慢性的なもの&メンタル的なものだと勝手に思っていたが

近所に、喘息や咳で有名な病院があるらしいのでGW明けに行ってみようかと。

マスクをしなくてもいいですよな世の中になったものの

咳をしておる人に対する目は相変わらず白い。

あなたは咳しないんですか…涙

と思いつつマスクを付けて生活をする。

一度きちんと検査してもらってもいいかもしれない。

歳をとるということは、心身共に衰えていくものだ。

こちらに越してきてからも、引き続き精神保健福祉士さんとは月に2回ほど面談をしてもらっている。

いつまでもこのままも嫌だと全てをノートに書き出し、初めての面談に行ったのは12月の半ば。

小さい頃からの家庭環境。

誰にも話したことのなかった、従兄弟からの数回の性的イタズラ。

1時間という限られた時間ではあるが、その日のうちに言われたこと。

「𓏸𓏸さん、それは虐待です」

きっと誰もが虐待と聞くと、殴られる蹴られるご飯を食べさせて貰えないなど目に見えるものだと思う。

実際、私もそう思っていた。

しかし、心理的虐待というものが存在していた。

祖母に子供のことをよく見せたい外面だけは良い親。

夕飯時になっても、父親が祖母の家から帰ってこないと食事にならない毎日。

兄弟間での差別。

女の子だから、お姉ちゃんだからという言葉。

金銭面。

病気への無理解。

その他、父親に大声で威圧されたこと。

父親に首根っこ掴まれて廊下を引きずり回されたこと。

幼稚園に行きたがらない私を母親が引きずり連れ出し

泣き叫ぶ私の頬を叩き鼻血。

通りかかった人には勝手に私が転んだ事にする演技。

躾だから、お姉ちゃんだから、と当たり前なのだと思っていたことが

実は異常だったこと。

そこで、初めて自分は虐待サバイバーだったと知り

ビックリしたものの、色々なとこが腑に落ち

今までごめんねと自分に謝ることが出来た。

なんでも自分が悪いと自責がとにかくひどかった。

周りができているのに、出来ていない自分は出来損ないだ。

ちゃんとしないと両親が認めてくれない。

そんなふうに自分に厳しく厳しくしていたと思う。

でも、𓏸𓏸さんは悪くないですよと言われて

少し肩の荷がおりたというか…

色々なことがいい方に回り始めた。

年末突然の歯痛により、歯医者に駆け込むことに。

とにかく歯医者が苦手で、ずっと避けてきたが

治療を済ませ、歩いて帰るときによかったー!と声に出していたの今でも覚えている。

そこからは定期的に歯の検診に行ったり、神経の処置をしたり…今まで出来なかったことが出来た。

そして、自分を少しずつ甘やかすことができるようになった。

人間、どんなことにも原因があって体調を崩す。

ウイルス感染で風邪をひく、腫瘍ができてガンになる。

でも20年以上、原因がわからずずっと精神疾患というものだけを背負ってきた。

ところが、引っ越してきて1ヶ月もしないで原因かわかった。

もちろん、分かったことでいい事もたくさんあったが…

溢れてくる怒りの感情や悪夢を見ることも増えた。

毎度、家族から怒鳴られるような夢を見て嫌な気分で目覚める。

夢見が悪いせいか、数時間おきに起きては寝るの繰り返し。

そして、最近悩まされているものが【音】だ。

ここに来てからずっとあったものの、一時期なくなっていた。

しかしここ1.2ヶ月で再度また音がするようになった。

毎日、決まった時間に数分隣人の部屋からする謎のどんどんという音。

ただ、深夜では無いので管理会社に相談しても大した対応はしてもらえない。

たかが音かもしれないが、気にしないようにすればするほど気になるもので…

ケースワーカーさんや、保健師さん、主治医、この家を決めた時の不動産屋さん

いろんな人に相談しているところである。

住宅手当プラス手出しのワンルームも木造の家。

窓を開ければ、他の家の喋り声は丸聞こえ。

また窓が大きすぎるため、一切死角がなく開けたままでの生活は無理。

外に丸見えになってしまう。

最初こそ新しい土地というフィルターもあってか快適に過ごしていたが、

生活してくるうちに分かってくることがたくさんある。

むしろ生活してみないと家なんて分からないものである。

なんでこんなの音が気になるんだろう?と少し調べたことがある。

どうやら父親に怒鳴られた恐怖のトラウマから過敏になっているようだ。

ただ、そういうトラウマがある場合どこに行っても同じということも書いてあった。

あ、インターホンの音にビクついていたのはこれかとも思った。

全部全部鵜呑みにするのは危険だと思っているが…

当てはまることや、思い当たることが多いとそうなのかと思わざるもえない。

管理会社に相談してから1ヶ月以上。

特に連絡もなく、改善もないので、主治医からはもう一度連絡してみなさいと。

ただ、私のトラウマ的な問題にワガママを言ってるように思われるのでは…

そんなふうにぐるぐる思考していたら、数日たってしまった。

1日に保健師さんとの面談があるので、相談してみようと思う。

私のワガママで連絡しても大丈夫でしょうかと。

こういう気にしぃなところはまだまだ改善されない。

まあ、30年からいい子でいないといけないと刷り込まれていたのだから簡単に消えることはないだろう。

またまだ付き合っていかないといけないことはたくさんある。

世に言う、過干渉の毒親・モラハラ気質の兄弟だったのだろう。

母親が体調崩したのは、私のせい。

じゃあ私は?

誰も私の病気には理解を示してくれなかった。

電車が怖くなった時も、食事が取れなくなった時も。

少しの距離だからと車で病院に連れて行ってくれと頼んでも嫌な顔をされ

なら、タクシーで行かせてくれと言っても金がかかると渋られ

死ぬ思いで電車に乗って通院していた。

それでも治らなかったのは、書き出したような背景が関係していたようだ。

閲覧制限もかけ、家族から私がどこにいるかは知られないようにしてある。

しかし、病院は買えてないのでいつ後をつけられるのではないかバレるのではないかと

ビクビクしている。

自由を手に入れ、ここから自分の人生を生きることが出来る

そう思っていたが、もう少し時間がかかりそうだ。

ちなみに、今年の頭に申請した障害年金は無事通った。

保護費は引かれるものの、多少の加算があるので

今までよりは少しだけ楽に暮らすことができそうだ

物価も上がり、光熱費もあがり…

どんなに自炊を頑張って節約しても、日用品の出費

毎月ある女の子特有の生理用品の購入。

プラス¥1,000でいいから女性加算してくれんかと思う。

最低限度の生活。

それが生活保護。

まだ仕事のOKも出ていないし、毎月の保護費で

少しでもストレスの少ない生活を…

まだまだ書ききれていませんが、また書ける時に書こうと思います。

半年ぶりに色々とぶっ込んで失礼しました。

世の中はGW。

私は変わらずいつもと同じ、おうちで過ごす日々。

お天気にやられないよう気をつけて生活しまょうね。

(すでにやられているが…)

では、そろそろ目が閉じそうなのでお布団に入ろうと思います。