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対話の場で、お腹の底が震えたことはありませんか?
私は結構あります。声に出すって、多かれ少なかれ、緊張が伴うものです。

「この考えは合っているのだろうか?」
「賛同してくれる人はいるだろうか?」
「伝わらなかったらどうしよう・・・」
「不快な想いをする人はいないだろうか?」

など、不安がぐるぐると頭をよぎってしまう。それでも声に出してみたくなる。「聞いてほしい。」「伝えたい。」という人間の本能のようなものがある気がしてなりません。

言うか言うまいかのせめぎ合いの中で、お腹の底が震え、身体が熱くなりながら、声に出してみるという瞬間。私はそこに人の可能性を感じます。賛同・共感されるかどうかよりも、<勇気を持って声に出した>そのこと自体に価値があると。

だからこそ、私は私自身も含めた対話に参加している一人一人の葛藤を少しでも感じられるようになりたいし、声に出してくれたこと自体に感謝したい。その考え・想いを分かろうとする人でありたいと思います。


以下に参加している「対話に生きるゼミ」合宿で記したものを残します。

言葉がどう受け止められるのかに怯えつつ
大切なもの
今の自分がせいいっぱい考えて生まれたそれを
「今」と震えながら出したとき 
きっと何かが変わる

わたす私と うけとる私
どちらの「今」も 
じっくりと味わえる人でありたい